魔界の花は、むせ返るような甘い甘いにおいをあたりに放ちながら成長を続けていた。花弁は紫色をした醜悪なぶ厚い肉襞のよう。花の中心には深い緑色の蜜らしきものが溢れているが、魔界の生き物ならば、花の蜜を主食としている生き物でさえも決してそこへ近付こうとはしない。近付けば、骨の髄まで喰らい尽くされてしまうからだ。
  何百年、いや何千年もの間、魔界の花は成長することを止めない。
  それでもニパはこの花のそばがお気に入りだった。
  一人で座って花の香りを嗅ぐ。
  見た目は醜悪だが、目を閉じてしまえばどうということはない。
  ニパは花のそばに寝転がると、そのきつい香りにうっとりと目を閉じた。
  樹木を思わせるほっそりとしたニパの肢体はほのかな緑色で、髪と瞳も緑色をしている。どちらかというと妖魔よりも妖精に近い容姿と性質を併せ持つニパは、主のお気に入りでもある。
  主からの呼び出しがない時にはいつまででも、ニパはお気に入りの場所にいることが許されていた。
  何故ならここは、ニパの産まれた場所……ニパは魔界の花の中から産まれ出て、育ったのだから。



「おいで、ニパ」
  ディーズリークがニパを呼ぶ。
  ニパは震えながら、主の前に跪いた。
  主はニパを玩具のように扱う。好きなだけ弄んで、興味が失せるとボロ布か何かのように捨て去るのだ。
  主の前に呼び出された瞬間と、捨て去られる瞬間がニパは一番恐かった。
  主は気紛れで、時として呼び寄せた臣下を殺してしまうことが多々あった。ニパのように褥での相手を命じられた者となると、興味が失せると同時に殺されることもある。ディーズリークのように力ある生き物ならば、殺されたとしても何度でも再生することができる。しかし、ニパたちのような下っ端には再生するだけの魔力がない。殺されるということは、消滅してしまうということ。魔界から、いなくなってしまうということ。だからニパは、主の前に呼び出された瞬間と、捨て去られる瞬間を一番怖れていた。
「ニパ、お前も館に住まうがいい。一人では淋しかろう」
  跪いたニパに、ディーズリークが声をかける。
  ニパがうつむいて黙りこくっていると、主は冷たい指先でニパの顎を捕え、上を向かせた。
「いつになってもお前は何も言わぬのだな」
  怯えるニパの手を取ったディーズリークは、今宵の二人の褥となる場所へとこの下級妖魔を誘った。
  ニパは立ち上がり、諦めと期待に満ちた眼差しで主の後をついて行く。
  ディーズリークは美しかった。青白い鱗の肌に、けぶるような銀の髪。瞳は闇に溶け込む寸前の濃藍色で、怒った時には炎の色に変化する。恐ろしいと思いながらも近寄らずにはいられないのは、妖魔たちが美しいものと力のあるものを好むからだろうか。手を引かれながらニパは、やはりディーズリークに呼ばれてよかったと思った。
  褥でのディーズリークはニパに優しく、時には威圧的なこともあったが、たいていは甘い囁きと気が狂いそうな愛撫とでニパを快楽の底へと突き落とす。
  ディーズリークはニパを四つん這いにさせると、後ろから貫き、激しく腰を突き動かすのが好きだった。その合間に片手でニパの前に手をやり、雄蕊のような形の性器を愛撫する。ニパの雄蕊は魔界の花のように甘ったるい香りを放ち、透明な蜜を溢れさせた。
  主に抱かれながらニパは、いつも奔放に歓喜の声をあげた。
  ディーズリークがそう命じたからだ。抱かれている時には、声をあげるように。自ら進んで身体を開くように、と。
  だからニパは、ディーズリークに抱かれている間だけは声を出した。
  主の教えでこの下級妖魔は、どんな無理な要求にも応えることが出来た。身体をいっぱいいっぱいに開いて真鍮の鋳型を受け入れ、さらにディーズリーク自身を受け入れることもした。鋳型は、ニパを最後までイかすことなく快楽を与えることが出来た。気が狂いそうになるほど激しく貫かれ、意識を失うこともあった。
  それでもニパは、主に仕え、命じられるままに身体を開くしかなかった。
  そうしなければ、ニパは殺されてしまう。ニパだけでなく、嘆きの塔に捕えられたエナイまでもが命を落とすことになるはずだ。
  ──エナイ……。
  ニパは、喉の奥へとその名を飲み下した。
  ディーズリークのざらざらとした鱗に覆われた竿が激しくニパの後ろを突き上げる。焼け付くような痛みに、ニパは激しい嘔吐感を感じていた。



  エナイは美しい雌雄同体の妖魔だった。
  透けるように白い背に、羽虫のような薄く透き通る四枚の羽があった。
  ニパはエナイの性器が好きだった。女のものと男のものとが複雑に入り組んだ、秘密の箇所。艶めかしくも美しいエナイの肌は、すべすべとして絹のような触り心地がした。
「ニパが好きだよ」
  孔雀色の瞳は真っ直ぐにニパを見つめ、いつもまっすぐな気持ちをぶつけてきた。
「エナイが好きだよ」
  その言葉だけで、二人の行為は始まる。
  エナイはニパよりも年上だったが、どちらかと言うとエナイのほうが幼いところが多かった。外見的にも、そして内面的にも。
  ニパがエナイの性器に手を伸ばそうとすると、エナイは決まってニパの屹立した性器を口に含みたがった。
  いつしか二人は魔界の花のそばで生活をするようになっていった。
  ニパが花のそばから離れようとしなかったこともあるが、エナイもこの花の香りをいたく気に入っていた。花の香りは、ニパの香りでもあった。ニパの性器から溢れる蜜は、魔界の花と同じ香りがする。エナイはニパの性器を隅々まで丹念に口で愛撫し、最後には自身の女の性器に突き立てられることを望んだ。
  ニパはエナイの望み通り、女の口に自分のものを突っ込んでやったし、時々は意地悪をして尻のほうに突っ込んだりもした。エナイはどちらの穴にニパが挿入しても、悦んでくれた。エナイの男性性器は透明なさらさらとした精液を滴らせ、ニパの愛撫に身を震わせた。
  いつも、いつも、いつも……。
  エナイのいない日々なんて考えもつかなかったし、自分のいない一人の日々をエナイが耐えられるはずもないと、ニパは思っていた。
  が、穏やかな日々は短く、ディーズリークの手によって二人は離れ離れになってしまった。
  ある日、ディーズリークが魔界の花のところにやって来て、ニパを抱いた。エナイは花の陰に隠れてニパが犯されるのを眺めていた。
  次の日、ディーズリークはエナイを捕え、そして嘆きの塔に幽閉した。その日からニパは、ディーズリークの褥の相手をすることになった。逆らえば、死が待っている。ニパとエナイの二人の死が。



  単調な日々は、魔界の常。
  煌びやかな饗宴も、数々の出来事も、ゆっくりと、緩やかな速度で過ぎていく。
  ニパはディーズリークに犯されながら、いつか許される日がくることを願っている。
  主に許され、解放され、美しくも儚いエナイと共に魔界の花のそばで再び暮らす日々のことを、心の奥底で想い描いている。
「ニパ、もっと声を……」
  ディーズリークが要求をした。
  褥でのニパは、花のように艶めかしく、妖しい。
  微かに上気した目元も、唾液と精液とに濡れそぼった唇も、何もかもが仄かに色付いている。
「もっと足を開いて、もっと腰を落として……」
  ディーズリークの手が尻のあたりを愛撫しながら前へと場所を移し、ニパの雄蕊をきゅっと握り締めた。花の香りと共に、半透明の蜜がじわりと溢れ出す。
  ニパが自分から主との結合を深めると同時に、掴まれた前の部分が激しく扱きあげられた。ニパは口を半開きにしたまま、腰を揺らめかせた。
「あっ……あああぁ……」
  部屋の中にニパの声が響き渡り、甘ったるい香りが充満した。
「それ、もっと声を出してみせよ」
  主は執拗にニパを責め苛み、焦らし続けた。
「いや…だ……いや、いや……ぁっ…やめっ……！」
  目尻から涙が伝い落ちる。
  ディーズリークの手が上下すると同時に、ニパの奥まったところもきゅっ、きゅっ、と締めつけを強めた。
「嘆きの塔のお前の情人に、今の姿を見せてやりたいものだな」
  主に耳元で低く囁かれ、ニパはびくりと身体を反らす。
  声が思うように出ず、かろうじて首を横に振ることしかできなかった。
「…そうか。お前も見てもらいたいか」
  ニパの反応ににやりと笑みを浮かべ、ディーズリークはまた激しく腰を突き上げはじめた。
  ニパは叫びながらも感じていた。
  熱くて痛い、ディーズリークの力強い雄はニパを十二分に満足させるものだった。エナイとの愛の行為よりももっとずっと、激しくて、苦しいものだけれど。
  ディーズリークは魔界そのものだ。
  その美しさも、強さも、激しさも、残酷さも……何もかもが、魔界を象徴している。ニパの魔界は、ディーズリークそのものかもしれない。
「もっと…もっと、もっと！」
  喉が嗄れるまで、殺されてもいいと思いながらニパは叫んだ。
  たとえこれが一夜の夢となろうとも、ニパはいつも、この瞬間を心の奥底で密かに待ち焦がれている。引き裂かれる瞬間の苦痛を。昇りつめる瞬間の、浮遊感を。そして、殺されるかもしれないという、ある種の憧れにも似た恐怖を。
  主の手を取って、ニパは荒い息の下、呟いた。
「もっと……痛くして……」



  魔界の花がまた一回り、成長した。
  甘い香りがあたりに立ちこめ、花弁がゆらゆらと音もなく揺れていた。
  ニパが快楽を求める度に、魔界の花は大きくなっていく。
  少しずつ、少しずつ。
  ゆっくり、ゆっくり。
  少しずつ、少しずつ。
  ゆっくり、ゆっくり……