夏服の天使 B面Version

  セックスの後の余韻に浸りながら、夏樹はキスをした。おざなりなものだったが、女は満足そうに喉を鳴らして喜んだ。
  いつもはこんなことはしなかったが、今日だけは特別。出血大サービスだ。別れるための手切れ金代わりだと思えば安いものだと、夏樹はぐっと堪えた。
  女なんて、皆同じだ。穴に突っ込んでやって、ちょっとばかり中を掻き混ぜてやるだけでヒィヒィよがって、涙を流して悦ぶ。そんな生き物なんだ、きっと──そんなことを考えると、今抱いたばかりの女に対する気持ちがさらにじわじわと冷めていくのが感じられた。
  ただ、したかっただけなのだ、夏樹は。
  入れて、混ぜて、時にしゃぶらせて。
  ただ、それだけ。
  期待は持たない、持たせない。
  何故なら……夏樹が本当に抱きたいと思う女は、たった一人しかこの世に存在しないから。



「……ぁん、ダ…メ……」
  回診前の病室で、夏樹は双子の姉と深い口づけを交わした。
  姉の美夏は夏休みに入って間もない時期に学校の屋上から飛び降りている。奇跡的に一命を取り留めたものの夏の間は入院生活を送らなければならなくなった美夏を、夏樹は毎日のように見舞いに来ていた。
  しかしそれも、あとしばらくのことだ。
  美夏自身が持つ強運のおかげで、怪我は強い打ち身と腕の骨折だけで済んでいた。下にあった植木と花壇の土とが彼女を守ってくれたのだろうと医師たちは言っていた。加えて美夏の回復力は素晴らしく、数日間の意識不明の後は、特に問題もなく、今に至っている。
「ダメだってば、夏樹…──」
  そう言いながらも美夏は、甘えるように夏樹にすがり付いている。
  男と女の双子は二卵性でしか産まれてこないという話を夏樹はどこかで聞いたことがある。それが本当のことなのかどうかまでは知らなかったが、もしもその話が真実ならば、自分達はどうしてこうもそっくりに産まれてしまったのだろうかと不思議に思うことがあった。子どもの頃はそれこそ、自分と同じ顔、同じ声、同じ背格好の姉。二人の違いは、男と女であるということだけ。服を着てしまえばそれもわからないほどにそっくり同じ、幼かった二人。さすがに男と女の体格差が顕著になってきた数年前からは多少の違いは出てきているが、それまでは確かに鏡に映したようにそっくりだった。
  美夏と夏樹。
  夏樹はいつも美夏を見てきた。十六年間、ずっと。
  ほんの数分の差で美夏は姉、夏樹は弟となったが、それすらも厭わないほどに夏樹は、美夏を求めていた。
  大好きな……いや、愛する美夏。
  夏樹はパジャマの上からそっと美夏の胸の膨らみに触れてみた。ふっくらとして柔らかいその部分は、美夏が呼吸するのに合わせて軽く上下している。
「夏樹……」
  美夏の口から、上擦った声が洩れた。
「しよっか、ここで」
  夏樹が言うと、美夏は小さく首を横に振る。だけど本当は美夏だって、夏樹と同じ気持ちでいるはずだ。その証拠に美夏の胸の鼓動はドッ、ドッ、ドッと早鐘を打つように高まっている。
「もうじき先生が来るから、ダメ」
  名残惜しそうに、美夏。
  夏樹は、美夏の胸の上に置いた手をゆっくりとスライドさせてみた。ブラジャーを着けていない胸は、弾力に富んでいる。パジャマごしの胸を優しく包み込むように揉み上げてやると、乳首がしこって固くなってくるのがわかった。
「……あぁ……っ……!」
  胸の先端を夏樹はきゅっとつまんでみた。と、同時に美夏はわずかに身体を後ろにずらす。彼女の唇から洩れる溜息は、夏樹の手がもっと気持ちよくしてくれることを望んでいるように思えてならない。夏樹は美夏の身体を捕らえると、唇を深く合わせた。しっとりとした感触。舌先で下唇を舐めてやると、美夏は少しだけだが素直に口を開いた。
「ギブス、なかったらいいのにな」
  そう囁いた夏樹は、さらに深く美夏の口内を犯していく。
  息継ぎの合間に美夏は艶かしい声をあげ、身体をぴくぴくと反応させていた。



  入院中の美夏に、キス以上の身体の関係を迫ることだけはしないでおこうと夏樹は決心していた。
  今までずっと、美夏が自分を見てくれることを願って待っていたのだ。美夏が振り向いてくれるまで十六年間、待った。恋人同士になれた今、美夏の退院の日まで我慢するぐらい、夏樹にはたいしたことではないように思われた。これまでの時間のことを考えれば、どうということはない。
  それよりも……と、夏樹は目の前の席でこちらの様子をじっと窺っている真佐美に目を向けた。
  急に電話がかかってきたと思ったら今すぐ会いたいと真佐美に言われ、駅前の喫茶店に呼び出された。顔を合わせてから三十分以上が経つが、会話もないまま今に至る。居心地の悪い席で夏樹はもぞもぞと尻を動かし、何度も座りなおしていた。
  真佐美とは、高校に入ってすぐに付き合い始めた。ショートカットの小生意気そうな娘だが、ボーイッシュな外見とあいまってなかなか家庭的な子だ。夏樹は複数の女の子たちと付き合いがあったが、最近になって別れることを決心した。我ながら酷いことをしてきたという意識はあるが、後腐れのない付き合いをしていただけにどちらかと言うとお互い様の感があった。だが、真佐美だけは違った。彼女とは、きちんと手順を踏んで恋愛をしたつもりだ。夏樹にはその気はなかったが、真佐美のほうには真摯な想いがあった。それ故に夏樹は、真佐美とだけはきちんと別れようと思っていた。
  別れ話をどう切り出そうか、いつ切り出そうかと夏樹が頭の中で考えていると、ぽつりと真佐美が言った。
「……夏樹君、最近冷たくなったね」
  夏樹には、答えられなかった。話さなければと思っていたところに不意打ちをかけられたのと、これまでにこういった別れ方をしたことがなかったため──今までに付き合った女の子たちは、もっとはすっぱな種類の女の子だった。彼女たちにとって恋愛とはずばりカラダの関係。誰とヤッたのヤらないのという自慢話をステータスとする、浮ついた軽薄な連中だった。彼女たちとの別れ方は簡単で、誰それと寝たからという一言で、簡単に別れられる、そんな冷めた関係だった──、夏樹はただぎこちなく「そうかな?」と返すことしか出来なかったのだ。
「美夏さんのことで忙しいから?」
  真佐美は静かに、しかし暗に責めるような口調で喋っている。夏樹は躊躇いつつも頷いた。
  それから再び、沈黙。
  口を開けば別れの話が出てくるだろうことが解っているからか、どちらも押し黙ったままだった。
  とうとう真佐美が音を上げた。
「──わたし……」
  固い声で、真佐美は切り出した。
「わたし、夏樹君に言わなきゃならないことが…あるんだ……」
  躊躇いがちな言葉は少しずつか細く震え出し、最後には泣き出しそうな声になっていった。
  夏樹は黙って真佐美の話に耳を傾けている。
「あの……わたし、ね、他に好きな人が……──」
  話しながらも真佐美の声はそわそわとして落ち着きがなく、まるで嘘をついている時のようだと夏樹は思った。
  それに。
  真佐美は他に好きな人がと言ったが、彼女が二股をかけるような器用な娘ではないことぐらい、夏樹にだって解っている。もし真佐美が二股をかけているのだとすれば、よっぽど男あしらいの上手な娘だろう。それこそ夏樹がこれまでに付き合ってきたようなはすっぱな女の子以上に手のかかる、問題児だ。
「謝るなよ」
  先手を打って、夏樹は言った。
「謝るな、真佐美。お前のせいじゃない」



  真佐美と別れた後の夏樹は、吹っ切れたというよりもどこか寂しげな様子だった。
  喫茶店を出たその足で病院に戻ったものの、美夏と言葉を交わしていてもついぼんやりとしてしまう。夏樹の中の良心がちくちくと痛んで、心にぽっかりと穴が空いたような感じがしていた。
「どうしたのよ、夏樹」
  美夏と一緒にいることを望んでいた夏樹だったが、いざ真佐美と別れてしまうと、どうしてこんなことになってしまったのだろうかと冷静に問い掛けてくるもう一人の自分がいる──もう一人の自分、つまり夏樹の良心だ。
  夏樹は微かに溜息を吐くと、美夏の腹部のあたりにしがみついていく。
  美夏はおとなしくされるがままになっている。夏樹の頭に手をやると、優しく髪を梳いてやった。
「俺……今、真佐美と別れてきた」
  夏樹の言葉に、
「──…だから、あたしに責任取れって言うの?」
  美夏は静かに尋ねた。
「責任とってヤらせろ、って……アンタはそんなことを言うのね、このあたしに向かって」
  夏樹は。黙ってこくりと一つ、頷いただけだった。
  美夏は夏樹の髪を梳く手を止めると、身体を引き離した。それから、一つずつ丁寧にパジャマのボタンをはずし始める。片腕は肘のあたりから手首にかけてギブスをしていたが、幸い指には支障はなかった。どことなく動かしにくそうではあったが。
  すらりと美夏の長い指には、いつの間にしたのかパールピンクのマニキュアが施されていて、妙に色っぽい。
「美夏……」
  ボタンが一つはずされるごとに、美夏の白い肌が露わになってゆく。今年の夏は病院生活を余儀なくされているからか、特に白いようだ。
「アンタにヤらせてくれって言われて、このあたしが『はい、そうですか』って答えると思ってるわけ?  はん、馬鹿馬鹿しい。アンタ、いったいナニ考えてんの?!」
  見せつけるように胸を肌蹴た美夏は気の強そうな笑みを浮かべて双子の弟を見つめている。つんと上を向いた乳首はしかし、間違いなく夏樹を誘っている。
「冗談じゃない。絶対にごめんだわ、あたしは」
  美夏の強気の言葉が終わるか終わらないかのうちに、夏樹がその細い身体をぎゅっと抱き締めた。美夏は、微動だにしない。
「……そんなこと言いながら美夏、俺のこと誘ってるくせに」
  美夏は、自由なほうの手で夏樹の背中へと手を回した。
  病室にはエアコンが入っていたが、効きすぎるほどではない。室温が二十五度以下になると自動的に停止するように中央で管理されていたし、それ以前に看護婦や担当医が部屋に来た時にいちいちチェックを入れていた。美夏の場合は、入院当初から母親が気を配って病室に小型の扇風機を持ち込んでくれていた。じっとしている分にはそれほど問題はなかったが、やはり二人が抱き合うとそれだけで汗がじんわりと滲んでくる。
「やっぱ、ちょっと暑いな」
  夏樹が言う。背に回された美夏の手に、ほんのわずかだが力が込められた。



  口づけを交わすと、美夏は眉を寄せて少ししかめっ面をした。
「……やっぱり、イヤ」
  夏樹は初め、何のことだかわからなかった。美夏の顔を覗き込み、怪訝そうに首を傾げてみせる。
「タバコのにおい、落としてきてよ」
  きっぱりと美夏は言った。特にタバコを嫌っている様子はなかった美夏だったが、妙なところで潔癖な一面があった。夏樹は身体を離すと、自分の肩口のあたりのにおいを嗅いでみた。確かに、微かなメンソールの香りがしている。におい自体はそうきつくはないが、ここに来る直前まで喫煙していたのがはっきりと解るほど、煙草のにおいが染み付いている。
「無理だ」
  と、夏樹。
  扇風機の生暖かい風が、そよそよと二人に吹き付けてくる。
「──じゃあ、エッチはなしね」
  美夏はそう宣言し、ベッドの上に脱いだパジャマに袖を通し始めた。
「あたしとエッチしたいのなら、まずタバコをやめて」
「ええっ……そんな……」
  焦ったような声で夏樹が言うのに、美夏はにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「それから……」
「それから?」
「それから、あたしに、真佐美がアンタにしたのと同じことを求めないこと」
  そこで美夏は言葉を切ると、声を出さずに呟いた。夏樹には、「来て」と聞こえた。美夏の唇の動きは、夏樹を今でも誘っている。
  夏樹は、姉に覆い被さるようにしてキスをした。
  互いの身体から、微かな汗のにおいがした。
「ギブスが外れたら、本当に一つになろうね」
  唇を離すと、臆面もなく美夏が言った。
  夏樹はあんぐりと口を開け、姉をまじまじと見つめ返した。
「──やっぱり、今日はダメ。なんてったってここは病院だし、お風呂にも入ってないから汗臭いし。それに、ギブスしたままだと何かと不自由じゃない?  だから、ダメ」
  にっこりと美夏は笑う。
  夏樹はがっくりと肩を落とすと、深い溜息を吐いた。
「じゃあ、ギブスがとれたら、ってことで……」
  居心地悪そうにもぞもぞと口の中で呟く夏樹に、美夏はさらに追い討ちをかけた。愛する弟のために試練をもう一つ増やしたところで、文句を言われることはないだろうと踏んでのことだ。
「あら、それだけ?  他に何か、言うことないの?」
「……セックスさせてください、お姉様。どうかお願いします。」
  弟の言葉に、美夏は呆れていた。夏樹の言葉は美夏が欲しかったものではなかったのだ。だがしかし、とりあえずは妥協しておいてもいいだろう。ギブスが外れたその時には、本当に美夏が欲しがっている言葉を口にしてもらえばいいのだから。
  美夏はにっこり破顔すると、弟の唇を優しく奪い取っていった。
  きっと。
  この夏が終わり秋がやってくる頃には、色々な意味で二人の関係は今以上に進展していることだろう。恨めしそうに姉の笑顔を盗み見ながら、夏樹は思った。
  まぁ、いいか──と、夏樹は心の中で思う。この世でたった一人、夏樹が抱きたい女は、ようやく彼のものになったのだ。セックスをしてもしなくても、美夏はもう、夏樹のものになっている。身体の関係はそれからでも、いいではないか。今日のところは……いや、当面、キスだけで我慢することにしよう。
  双子の姉は、心の中であれこれと画策している夏樹を、いつまでも不思議そうに見つめていた。

END
(H13.8.16)
(H24.10.21改稿)



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