魔界の夢・前編

  手を伸ばしてエナイは、ディーズリークの背にしっかとしがみついた。
  執拗なほどに激しく追い上げてくる感覚に、今にも意識が飛んでしまいそうだ。
  エナイの後ろの穴では先程からディーズリークの雄が暴れている。愛しい人の指はかなり前からエナイの隠された秘密の陰唇をもてあそんでいたし、尖り立った先端には先走りの液がたっぷりと溢れている。
  荒げた息の下、エナイは幻を見ていた。甘い甘い香りの花と、緑色の瞳をした少年の幻を。
  愛しい人の…ディーズリークの、鱗に覆われた雄に貫かれながら。
  このまま、何もかもすべてがなくなってしまえばいいのに。何もかもすべてが魔界の花になってしまえばいいのにと、そんなことをぼんやりと心の中で考えながら、エナイは激しく揺さぶられている。
  頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなるくらいに激しい突き上げに、エナイは思わず嬌声を上げていた。



  嘆きの塔は、ディーズリークの領土の中では最も魔界の中心から外れたところにある。
  荒れ果てた大地と立ち枯れた茨の続く乾いた地面には、小動物の気配すら感じられない。
  塔は、そんな荒れ野の奥まったところにひっそりと佇んでいた。度重なる砂嵐のせいで城壁は乾いた土色となっており、表面には塩の粒らしき結晶が散りばめられている。
  塔には、エナイがただ一人で住んでいた。
  羽虫のように薄く透き通る四枚の羽を持つ、雌雄同体の淫魔、エナイ。絹のように滑らかな肌は蝋たけた妖かしの白。 ディーズリークの囚われの愛人で、その艶かしさといったら二つとないほど。
  エナイは常に、石塔にいくつもしつらえられた部屋を自由に行き来し、愛人の訪れを待った。
  愛人……ディーズリークは、この魔界ではかなりの力を持つ妖魔だ。美しい鱗の肌は常に青白い生気を放っており、どの妖魔よりも美しかった。闇に溶け込む寸前の濃藍色の瞳は剣呑で、怒ると激しい炎の色に変化する。もっともエナイは、ディーズリークが本当に怒ったところをまだ見たことがなかったが。
  ディーズリークは優しかった。
  他の者に対してはどうだか解らなかったが、エナイに対してはたいそう優しかった。塔に囚われているとはいえ、エナイは何不自由のない暮らしを送ることができた。
  塔には何十、何百もの部屋があり、それぞれの部屋には人間界の様々な調度品や美しい刺繍を施した絨毯やらタペストリーやらが所狭しと詰め込まれていた。エナイの気に入りの部屋はしかし、剥き出しの石の床の部屋だった。部屋には大き目の暖炉があり、その上には人間界の四季の様子を綴った大きなタペストリーがかけられている。天蓋のついた広いベッドには金と銀の糸を使ったカバーがかかっており、ディーズリークが塔を訪れた時には必ず、二人はこの部屋で愛を交わした。
  ディーズリークは、魔界の空に月が昇ると嘆きの塔へとやってきた。
  約束をしているわけではない。
  ディーズリークの気が向かない時には訪れはなかったし、そんな時にはエナイは、火照る肢体を持て余すこともしばしばあった。
  今宵、空には青白い月が出ていた。
  エナイの肌のように蝋たけた、淡い影を含んだ色合いの月だ。
  ふと、エナイが顔を上げる。その瞬間にはもう、ディーズリークは目の前に佇んでいた。
  威圧的な空気を身に纏った妖魔は、黙って手を差し伸べる。
  エナイはおずおずと愛人に手を伸ばし……彼が幻ではないことを確かめてから、にこりと微笑んだ。
「ディーズ……心待ちにしていたんだよ、来てくれるのを」



  無邪気な笑みを浮かべ、エナイはディーズリークの雄を口に含んだ。口いっぱいに頬張ってもまだ入りきらないそれは、銀青色の鱗でびっちりと覆われている。
  ディーズリークのものを愛撫しながらもエナイは、ずっと以前、もうほとんど覚えていないほど遠い昔に、彼ではない誰かにこんな風にして身体を開いていたことをぼんやりと思い出していた。
  ──いったいあれは、誰だったんだろう。
  エナイの記憶は、石の塔での記憶しか残っていない。
  もともと、何かを長く頭の中に留めておくことのできない質のエナイには、日々の出来事や興味のないことを覚えておくということはなかった。そういったつまらないことを覚えておく必要が、エナイにはこれまでなかったのだ。
  だから、昔の記憶もエナイにはほとんど残っていない。
  自分がどのようにしてディーズリークと出会ったのかも、何故、この塔に幽閉されることになったのかも。
「何を考えている?」
  ディーズリークの指先が、優しくエナイのうなじを辿る。
  エナイは微かに身体を震わせ、小さな溜息を吐いた。
「考えてたんだ、昔のことを」
  中性的なエナイの声は、ざらついた低いアルトの声だった。
「どうして私はここにいるんだろう……って」
  エナイの言葉に、ディーズリークは口許だけで笑ってみせた。
「教えて欲しいか?」
  力ある妖魔が、獲物を狩る時にも似た悦びの眼差しで、ディーズリークは愛人を見下ろす。
  エナイは弾かれたようにディーズリークを見上げ、それから、彼の頬を指でそっとなぞった。
「教えて、ディーズ。どうして私はここにいるのだろう。どうして私は、ディーズ、貴方の愛人になぞなったのだろう。何もかもすべて、昔のことを思い出させて──」
  エナイが言い終えるか終わらないかのうちに、二人の周囲の影がゆらりと歪んだ。



  エナイとディーズリークは、ベッドの上で見つめ合っていた。
  やがてディーズリークはエナイから身を離すと、自らの手首を尖った爪ですぅ、と引っ掻いた。傷口から一筋、血が溢れ出す。
「ディーズ、何を?」
  エナイが問うたが、ディーズリークは答えない。
  ディーズリークの傷口から零れ落ちた血は、小さな赤黒い瑪瑙となって、シーツの上にぽとりと落ちた。丸い小さな紅い粒は、まるで誰かが流した涙のように見えないでもなかった。
「お前に、過去を見せることはできない。しかし……──」
  と、デーズリークはシーツの上の瑪瑙石を取り上げ、軽く息を吹きかける。石は熾のように暗い光を放ち、床へと転がった。
「──しかし、思い出させることなら出来る。魔界の花の力を借りて、お前が失った過去の記憶を蘇らせてやろう」
  ディーズリークの言葉と共に瑪瑙石のそこかしこにちいさな亀裂が走り……雛鳥が薄殻を破るように、緑色の茎が石の中からずるりと這い出した。
「……あれは?」
  エナイの声は、小さく弱々しいものだった。孔雀色のエナイの瞳は、不安げな暗い青緑に変化していた。
「あれは、魔界の花。お前がかつて失った半身だ」
「半身……?」
  ディーズリークの言葉に、エナイは小さく呟く。
  這いずりだした茎はあちこちに葉を広げた。同時に中心のあたりでは、見る見るうちに瘤のような醜いものが大きくなっていく。濃い紫と緑色が混ざり合った塊は何度か身震いをし、その度に大きさを増した。
「あれは……蕾?」
  エナイが尋ねると、ディーズリークは頷いた。
「あの中に、お前の半身が眠っている」
「……半身?」
「そう、半身だ。お前はこれからその目でしっかと見届けなければならない。お前が、どのようにして自分の半身を裏切ったのかを」
  そう言うとディーズリークは蕾のほうへと近寄る。今では蕾は、部屋の半分近くを占めている。ディーズリークは一番外殻の表皮を無造作に剥ぎ取った。
「目を覚ませ、ニパ。愛するエナイが目の前にいるのだぞ」
  ディーズリークの言葉で、蕾はそれ自体が意識を持っているかのように、ゆるやかに変化を始めた。花びらと見受けられる紫色の厚ぼったい部分がまず、開く。中では花弁が何かを守るように、とぐろを巻いていた。
「さあ、ニパ。目を開けるがいい。お前の望み通り、エナイのところへ連れてきたぞ」



  ゆっくりと、ニパは目を開ける。
  ここはどこだろうかと思い、すぐに自分が、ディーズリークの力によって眠らされていたのだと気付く。
  目の中に飛び込んできた景色は、大好きな魔界の花の醜悪な様相と、ディーズリーク。それから……かつてニパが愛した、エナイの姿。
「──…エナイ……エナイ!」
  ニパは叫んだ。しかしエナイは、ニパを目にしても何の反応も示さない。
  あんなにも、互いを愛しく思っていたというのに。
「無駄だ」
  冷たい、凍り付くような声でディーズリークが言う。
  ニパが起き上がろうとすると、身体を包み込むようにしていた花弁はするりと外側へ開いた。
  花弁の中から出てきたのは、淡い緑色の肌をした少年。妖精のような華奢な体付きのニパは、緑色の瞳に恐怖の色を滲ませてディーズリークを見上げている。
「望み通り、エナイの前でお前を犯してやろう」
  ディーズリークは冷たく微笑み、ニパのほっそりとした顎に手をかけた。
  何も答えられずにいる間にニパは花の中央に押し倒されていた。ディーズリークの力強い腕に抑えつけられ、逃げようにも逃げられない。まるで……そう、まるで、あの時のようだ。初めてディーズリークと出会った時のような圧倒的な強さでニパを押さえつけ、犯そうとしている。
  ──逃げられない。
  そう悟った瞬間、ニパの心の中は恐怖と諦めと、ほんの少しの期待とでいっぱいになった。
  ニパはいつものように大人しく、ディーズリークに身体を開いたのだった。



「あっ……あ、あぁ……」
  声を上げることで、ニパは快楽の波から逃れようとしていた。
  自分がディーズリークに犯される姿を愛するエナイが見ているのだと思うと、何故だか体の芯がかっと火照り、いつも以上にニパは主を感じた。
  気持ちよかった。
  ディーズリークの舌が薄っぺらな自分の胸の突起に歯を立てるのも、指で後ろの穴を探られ真鍮の鋳型を無理に挿入されるのも、何もかもが気持ちよかった。エナイが……ニパの愛するエナイがこの醜態を見ているのだと思うと、それだけでニパの雄はだらだらと透明な液を垂れ流し、全身はびくびくと震え、わなないた。
「……どうだ、エナイ。思い出せそうか?」
  ニパの後孔を激しく突き上げながら、ディーズリークは尋ねる。
  ベッドの上に一人とり残されたエナイは、身体の中心で疼く熱を持て余していた。白く艶やかな肌をほんのりと上気させ、エナイは自身の雄蕊を愛撫していた。
「ん……っう……ふ…ぁっ……」
  エナイの陰唇の奥から透明な液が溢れ出し、太腿を濡らした。シーツの上はどちらの蕊から溢れたものか解らないものでじっとりと湿っている。
「エナイ……エナイ!」
  ディーズリークに激しく貫かれながらもニパは、愛しい友人の名を呼んでいた。
  エナイに思い出して欲しかった。確かに二人が過ごした甘い日々を。互いに、相手のことしか目に入らない日々が存在したという事実をエナイが思い出すことを、ニパは期待していた。
「無駄だ。あれの記憶の中には、お前は存在しないのだからな」
  そう言ってディーズリークはさらに激しくニパを揺さぶった。
「あぅっ……ぁ……」
  ニパが眉を寄せて痛みを伴う快楽に耐えている間にエナイは、高みに昇りつめようとしていた。雄蕊からも雌蕊からも溢れる体液は、淫靡な湿った音を立てている。片手で雄蕊を扱きながら、もう片方では雌蕊に指を出し入れしている姿は、酷く官能的だ。ディーズリークに犯されながらもニパは、そんなエナイの姿に興奮を覚えた。
「エナイ……──」
  精一杯手を伸ばし、ニパは叫んだ。同時に、ディーズリークの先端から激しい迸りがニパの体内に放たれる。熱くてどろどろとしたディーズリークの精液は妖力に満ち溢れている。力ある妖魔の常か、ディーズリークの放出は長かった。ニパは、内壁がきゅっと締め付けようとするのを感じた。
  ぎゅっと目を閉じると、ニパは自分の殻に閉じこもろうとする。
  エナイの前で醜態を演じたことと、ディーズリークに犯されることを期待した自分を恥じて、ニパは、きつくきつく目を閉じた。
  ニパ自身もまた、ディーズリークの迸りをうけて射精していた。あたりには甘い花の香りが漂い、ディーズリークは満足そうな笑みを口の端に浮かべてほくそ笑んでいる。
  ニパの周囲では魔界の花が、触手を伸ばしてエナイのほうへと這いずり始めていた。



END
(H13.7.05)
(H24.6.14改稿)



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