甘い囁き・後編

「藤原さん、手伝いに来ました。有科です」
  ドア越しに、声が聞こえる。
  圭一郎の引越しの手伝いに、有科がやってきたのだ。
  有科の声を耳にした途端、朝木の気分は最悪のものになった。
  わざと激しく突き上げて、圭一郎に声を出させようとした。
  圭一郎が嫌がって行為を中断しようとすると力で押え込み、無理矢理、犯した。
  有科はドアの向こうでしばらく待っていたようだったが、返事がないのでそのまま帰ってしまったようだった。
  いつ有科が帰ったのか、朝木は知らなかった。
  圭一郎を犯すのに必死になっていたからだ。
  朝木が自身を圭一郎から引き抜くと、圭一郎の身体は床に崩れ落ちた。腕を取って立ち上がるのを手伝おうとすると、拒絶された。
「嫌だって言ったのに……」
  鋭い眼差しで睨み上げられ、朝木はどきりとする。
  艶めかしい眼差しよりもさらに色気のある、圭一郎の眼だった。
「もういいよ、手伝ってくれなくても。後は一人でできるから。お出口はあちらです、どうぞお帰りください、朝木篤志君」
  ドアを指差して、冷淡に圭一郎は告げた。
  こんな状況だというのに朝木は、不謹慎にも圭一郎の眼差しにときめいていた。圭一郎がこんなに色っぽい眼をするなんて、それこそ思いもしなかったのだ、朝木は。
「圭…──」
  何かを言いかけたが、朝木はそのまま口をつぐんだ。
  今は、何を言っても無駄なように思われた。



  圭一郎の引越しの日から一週間が過ぎた。
  約束していたクリスマスのデートは流れてしまい、何もかもがうやむやのままに学校が休みに入ろうとしている。もう、正月も目の前だ。
  あの日以来、圭一郎はずっと機嫌を損ねたままだった。
  朝木がどんなに謝っても、土下座をしても、許す気はなかった。
  圭一郎は朝木のあの行為に酷く怒っていた。圭一郎のプライドを傷付けられたのだ。そう易々と朝木を許すことはできない。
「……藤原さん、ここんところご機嫌斜めみたいですね」
  事務室に入ってくるなり、有科はそう言った。
「有科先生……」
  訳知り顔の有科は口の端に笑みを浮かべながら尋ねる。
「大晦日の夕方は暇ですか?」
「大晦日…ですか?」
  鸚鵡返しに圭一郎が返すのに、有科は頷く。
「そうですよ。知り合いに、ディナーの招待券をもらったんで、よかったらご一緒しませんか?」
  大晦日……と頭の中で反芻して、圭一郎は考える。
  朝木と喧嘩さえしていなければ、大晦日は一緒に過ごす予定だった。朝木が何と言うかは解らないが、圭一郎としてはその予定をしていた。クリスマスだって、そうだ。朝木からデートの約束をもちかけてきたというのに、守られずに水の泡と消えてしまった。
  大晦日に一人でわびしく過ごすよりは、誰かと一緒にいるほうがまだマシだろう。
  何と言ってもディナーの招待券なのだから、間違っても寂しいことはないはずだ。
「いいですよ。どうせ暇ですから」
  言った瞬間、朝木にデートの話をもちかけられた時のことを思い出してしまった。

「──…いいよ、どうせ暇だから」

  確かあの時も、同じように返したのだ、圭一郎は。
  不意に目の端がじんわりと熱くなった。
  朝木の行為に対して怒っている反面、もう一度、謝ってきてくれればと圭一郎は思っていた。
  今度、謝ってきたら、絶対に許すのに。
  いや、許すも何も、圭一郎の中ではもうとっくに、朝木を許している。本当のところは早く声をかけてきてくれないかと心待ちにしているほどなのに。
「……じゃ、大晦日の夕方五時半に、駅前のホテルのロビーで待ち合わせしましょう」
  有科の言葉に圭一郎は、頷くことしかできなかった。
  事務室の窓の外に、朝木の姿がちらりと見えた。圭一郎はぎゅっと握り締めた拳にさらに力を込める。
「わかりました。三十一日の夕方五時半に、駅前のホテルですね」
  自分の声が朝木に聞こえるように、圭一郎はわざと声の調子を上げて返した。



  休みに入ると、圭一郎は部屋の片付けばかりをしていた。
  朝木がいつ遊びに来てもいいように、いつ泊りに来てもいいように、準備万端に用意を整えていた。
  が、朝木が訪ねてくることはなかった。
  それどころか、電話の一つもかけてこないのだ、あの薄情な年下の恋人は。
  もしかしたら自分は捨てられたのだろうか、それとも朝木と歳の近い若くて可愛い女の子に気持ちが傾いたのだろうかとあれこれと憶測してみるが、どれも圭一郎にとってはあまりいい妄想にはならなかった。
  青い溜め息の日々が過ぎて、あっという間に大晦日がやってきた。
  大晦日の昼間は、姉の家に顔を出した。近況報告と、これから出かけるのだということをわざと教えに行った。姉にも姉の子にも、自分が家にこもったままで人付き合いがあまりないように思われたくはなかったのだ。
  姉の家からアパートの自分の部屋に戻る途中で、自分はいったいいつから、こんなにも体裁を取り繕うのが好きになったのだろうかと、圭一郎はぼんやりと思った。
  夕方まで時間が空いたので、圭一郎は本を読んで時間を潰すことにした。
  姉の家から帰る途中の本屋で買った本は、どれもつまらなかった。まるで冴えない自分のようで、五分と見ていられなかった。
  夕方、約束の時間が近付くにつれて圭一郎はそわそわとし始めた。
  これから会うのが有科だという緊張感と、朝木への後ろめたさが次第に込み上げてくる。
  どうして朝木は、電話の一本もしてくれないのだろう。
  今、朝木から電話があれば、すぐにでも有科に断りの電話を入れるつもりなのに。
  圭一郎は苛々と服を着替え、駅前までの一本道を歩いていく。
  師走の道は、忙しそうな人の流れでいっぱいだった。買い物袋を手に歩いている人、自転車に乗っている人、車で買い出しに出かけた人、等など。
  誰も彼もが忙しそうで、その表情には微かだが楽しげな色が浮かんでいる。
  圭一郎一人だけが、どんよりと落ち込んだ気分でいるようだった。
  ホテルに到着しても、圭一郎の気分は変わることなく、それどころかますます憂鬱なものになっていく。
「藤原さん!」
  ロビーの柱にもたれて立っていると、後ろから声をかけられた。
「有科先生……」
  柱から離れて、圭一郎は軽く会釈をする。
「こんにちは。今日は誘っていただいてどうもありがとうございます」
  圭一郎が言うと、有科は笑って首を横に振った。
「どういたしまして……と言いたいところだけど、人にもらったタダ券だから、気にしないでください」
  有科はきっぱりと言い切ったが、それが反って圭一郎にはいい印象を与えた。有科にはいろいろと腹を割った話ができるかもしれないと、何となくだが、圭一郎はぼんやりと思った。
「──じゃ、行きますか」
  と、有科。
  二人は最上階のレストランへと足を向ける。タダ券とは言え、ホテルのディナー招待券だ。妙なものが出てくることはないだろう。
  しかし。
  最上階までのエレベーターに乗り込んだ途端、圭一郎は朝木のことを考え、一人の世界に閉じこもってしまった。
  こんなに好きなのに、どうして朝木は連絡をしてくれないのだろう。
  取りつく島もないほどに怒っていた圭一郎なのに、つい、自分に都合のいいように考えてしまうのだった。



  ホテルのディナーは、中華料理店のコース料理だった。
  有科は驚くほど酒に強く、食事がテーブルに出る前からひたすらアルコールを摂取している。圭一郎は、運ばれてきた食前酒でほんのりと頬が上気し、有科が後から注文した別のお酒で頭がぼーっとなるほどに酔いが回ってしまっていた。
  食事は楽しかったが常に頭の隅っこに朝木のことがあり、ついついお酒に手の出る圭一郎だった。
「……藤原さん、かなり酔ってませんか?」
  有科の言葉に、大丈夫だからとさらに追加のお酒を注文したところで、喉の奥に食べたものが込み上げてきた。
「ちょっと、トイレに行ってきます……」
  慌てて席を立ってトイレに駆け込む。トイレの流しに直前に食べたものをぶちまけた圭一郎が鏡を覗くと、そこには青白い顔の男が一人、立ち尽くしていた。二十八歳の圭一郎だ。リストラで故郷に帰って来て、慣れない事務職に就いた冴えない男が鏡の中からこちらを見つめている。
  強情で、狡賢くて、馬鹿な男だ。
  ズボンのポケットに忍ばせた携帯を出すと、よく考えもせずに指が覚えてしまっている番号を押す。朝木の携帯の番号だ。
  五回目のコールで、朝木は携帯を取ってくれた。
「もしもし」
  と、朝木の低い声が携帯から聞こえる。
  圭一郎は泣きそうになるのをぐっとこらえて、深く静かに息を吐いた。
「もしもし?」
  もう一度、朝木が言う。
  圭一郎は何も言わずに携帯のボタンを押して、電源を切った。
  携帯をポケットに戻すと圭一郎はよろよろと席に戻った。
  心配そうに有科が見上げるのに、圭一郎は大丈夫だと笑いかけようとする。くしゃっと顔が崩れて、次いで泣きそうな顔になった。
「大丈夫ですか?」
  有科が尋ねるのに、圭一郎はこくりと頷く。
「大丈夫ですよ」
  言いながら、堰を切ったように涙が溢れてくるのを圭一郎は感じていた。
  涙は次から次へと溢れ出て、止まることを忘れてしまったようだった。
  有科は何も言わずに圭一郎の肩を抱いて、レストランを出た。
「下の階に空いてる部屋があるらしいから、そこで少し休んだほうがいいですよ」



  朝木は、圭一郎のことが心配でたまらなかった。
  あの日、無理に圭一郎を犯した日から、圭一郎は朝木と目を合わせなくなった。喋りかけても知らん顔で、どんなに謝っても圭一郎は耳を貸してはくれなかった。
  冬休みの前日、学校の事務室で圭一郎が有科と話しているのを偶然にも耳にした朝木は、あれからずっと圭一郎のことが気になって仕方がなかった。
  年上の、圭一郎。ストイックで少しおっちょこちょいなこの恋人は、ベッドの中では我が侭で強気な恋人になる。
  圭一郎と顔を合わせなくなって一週間と経っていないはずなのに、もうひと月も顔を合わせていないような感じがする。
  こんなにも圭一郎のことが好きで好きでたまらないのに、彼はいまだに朝木に対して怒っているようだ。
  どうしたら、いいのだろう。
  どうしたらいったい、圭一郎は朝木のことを許してくれるのだろうか。
  そんなことを考えていたら、不意に携帯が鳴った。
  慌てて朝木は携帯を手にする。
  コール五回目で「もしもし」と言うと、静かな物悲しい溜め息が電話の向こう側から洩れ聞こえてきた。
「もしもし?」
  もう一度、朝木が言うと、何も言わずに電話は切れた。
  だが、間違いなく電話の主は圭一郎だった。
  朝木にはすぐに解った。
  今のは、圭一郎だ。
  有科と一緒に駅前のホテルでディナーだとか何とか言っていたようだが、何かあったのだろうか。
  何もないのに圭一郎が電話をかけてくることはないだろうし、何かあってもそれはそれで気分が悪い。
  どちらにしても、様子を見に行ったほうがよさそうだと思い、朝木は家を飛び出した。
  ヘルメットもかぶらずに、家の裏に停めてあったバイクで駅前のホテルへと向かう。
  信号を三つ、無視した。
  バイクを走らせながらも朝木の不安はどんどん肥大していく。
  圭一郎に何かあったらどうしよう。もしも有科が圭一郎に手を出していたら……有り得ないことだと思いたいが、万が一と言うこともある。ばくばくと脈打つ心臓を抱え、朝木は目的地へと急いだ。



「ボタン、外したほうがいいですよ」
  ベッドに横になった圭一郎に、有科が言う。
  二人は、ホテルの一室にいた。
  ツインのベッドはそこそこの固さで、そこそこの広さの部屋だ。いつも圭一郎が朝木と逢瀬を繰り返していたのと同じような作りをしている。
  酔いの回った手はなかなか思うように動かないし、急に寒気がしてくるしで、圭一郎は不快感を感じていた。
「寒い……」
  掠れた声で圭一郎が言う。シャツのボタンを外したかったが、手も指もなかなか動いてくれなかった。胸のあたりで弱々しくボタンを掴もうとするのだが、すぐにするりと腕が落ちてしまう。
「当たり前だ」
  呆れたように、有科は呟いた。
「さっき、吐いたでしょう。酔って吐くと、寒気がすることがあるんです」
  言いながら有科は、圭一郎のシャツからネクタイを引き抜き、ボタンをふたつ、外してしまう。
  目を閉じて圭一郎は、有科の声を聞いていた。
  有科はしばらくベッドの脇に立っていたようだが、そのうちに部屋のドアを激しくノックする音が聞こえてきた。
  圭一郎はぼんやりとしながらも有科の声と、それから何故か朝木の声を聞いていた。言い争う声と、どさり、という大きな物音。しばらくして、誰かが圭一郎の肩を軽く揺すった。目を開けると間近に有科の顔があった。
「申し訳ないんだけど、用があるのでこれで失礼します。よい年を迎えて下さい、お二人さん」
  そう言って、有科は部屋を出ようとした。
  最後に圭一郎が見た有科は、肩越しにこちらを振り返って意味深な笑みを浮かべていた。
  残された圭一郎はのろのろと起き上がると部屋の中を見渡した。すぐにドアの側で腹を抱え込んで苦しむ朝木の姿が目の中に飛び込んでくる。
「朝木……なんで、ここに……?」
  朝木は腹を押さえたままの姿勢でよろよろとベッドのほうへと近付いてくる。
「畜生……あいつ、鳩尾に入れやがった……」
  有科の拳は、朝木の鳩尾に綺麗に入っていた。彼が喧嘩慣れしているという噂はデマではなかったのだと、朝木は身をもって思い知らされたのだ。
「大丈夫?」
  まだ少し酔いの残る圭一郎は、ふらつきながらもベッドから下りると、朝木の腕を取ろうとした。
「ああ、大丈夫だから別にいいぜ、手を貸してくれなくても」
  突き放すような朝木の言い方に、圭一郎は一瞬むっとする。
「手伝ってやるって言ってるんだよ」
  そう言って強引に腕を取った圭一郎は、そのまま朝木をベッドに押し倒した。
「おいっ、圭……」
  怒ったような眼差しで朝木が見上げるのに対して、圭一郎はしれっとした顔付きで抱きついていった。
「今すぐしよう、ここで」
  圭一郎は朝木の性器に手をかけ、愛撫を始める。つい今しがたまで言うことをきいてくれなかった圭一郎の手だが、朝木の姿を目にした途端に力を取り戻したような気がする。
  殴られた腹を押さえて朝木は、低く呻いた。
「やめろ。俺は今、そんな気分じゃないんだ」
  腹を押さえたままの格好で睨みつける朝木に、圭一郎は冷たく言い放った。
「ソノ気がない時に無理にエッチの相手をさせられるのが嫌なことだって、これで解っただろ?」



  朝木には、有科に腹を殴られたことよりも、圭一郎に言われた言葉のほうがショックだった。
  自分がしてしまったことと、しなかったことに対して大きな後悔の念が押し寄せてくる。
  あの時、嫌がる圭一郎を無理に犯した自分。
  あの後、本当に自分は心を込めて圭一郎に謝っただろうか?
  殴られた痛さ以上の心の痛みが、朝木に襲いかかってくる。
  朝木がしたことは、有科に殴られた以上のダメージを圭一郎に与えたはずだ。肉体的にも、精神的にも。
  もしかしたら取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか。
  今から謝っても、圭一郎はこんな自分を許してくれるだろうか?
  自問自答を繰り返しているうちに、圭一郎はバスルームへと姿を消した。
  しばらくベッドに横になっていた朝木だが、痛みが引いてくると今度は激しい空腹感が襲ってきた。昼にカップ麺を食べたきり何も食べてないのを思い出すと、余計に腹が減ってくる。
  何かないだろうかと部屋に備え付けられた冷蔵庫を開けると、缶ビールが三本と炭酸飲料水、スポーツドリンクと冷酒が目に入った。
  座り込んで朝木は、奥のほうを検分し始める。
「つまみはないのかよ、つまみは」
  呟いて缶ビールに手を伸ばした瞬間、圭一郎がバスルームから出てきた。
  圭一郎は一瞬、顔をしかめたようだったが、そのまま朝木の隣にしゃがみこむと同じように冷蔵庫を覗き込む。
「そのスポーツドリンク、取って」
  張り詰めた声で、圭一郎。
  朝木がスポーツドリンクの缶を手渡すと、圭一郎の指先と微かに触れ合った。
「──…ごめん」
  ぽつりと圭一郎が言い、朝木は無言で頷いた。
「さっき、嫌なことしてごめんね……」
  スポーツドリンクを飲みながら、圭一郎は言葉を続ける。
  朝木は黙って圭一郎の言葉に耳を傾けていた。自分のほうこそ、もっと真剣に謝らなければならないのに。本当ならば、圭一郎が謝るよりも先に朝木自身が謝らなければならなかったのに……。
  スポーツドリンクをごくごくと飲み干してしまうと圭一郎は、すたすたとベッドに戻ていった。どうやらこのまま、ホテルに泊まるつもりらしい。
  朝木は迷っていた。
  圭一郎の無言の電話でここまでのこのことやって来たものの、きちんと謝らなければならないことが朝木にはあった。どう切り出すかが問題だったし、このままここにいていいのかどうかも疑問だった。それに、まだ圭一郎を疑ってもいる。
  ビール一缶では空腹を満たすことはできなかったが、バイクで家まで帰るつもりなら、これ以上飲むのは危険なように思われた。何と言っても大晦日の晩だ。場所によっては警官が密かに待機しているところもあるだろう。ねずみ取りの待機場所は、あそことあそことあそこ……朝木は頭の中で考えながら、圭一郎が許してくれるなら、このままホテルに泊まっていこうと考えた。



  部屋の入り口側にあるベッドに入ろうとした朝木はケットをめくり、そこで圭一郎が背中を丸めて眠っているのに気が付いた。朝木が部屋に入ってきた時、圭一郎は部屋の奥側のベッドで眠っていた。てっきり同じベッドで眠っているものだと思い込んでいた朝木は少しばかり驚いて、それから慌ててケットを圭一郎の肩にかけ直そうとした。
  いきなり圭一郎の手が伸びて来て、朝木は手首を掴まれる。
「圭、ごめん……」
「いいよ、一緒に眠ろう」
  咄嗟に朝木の口を衝いて出た言葉に、圭一郎は静かに返した。
  朝木がごそごそとベッドの中に潜りこむと、圭一郎は姿勢を変えた。朝木のほうに向き直り、いつものようにぎゅっとしがみついてくる。
「──…会えなくて、寂しかった?」
  圭一郎が尋ねる。
  朝木は圭一郎の肩を抱き返して、答えた。
「うん、寂しかった。ごめんな、圭。嫌なことして」
  圭一郎は小さく笑って、朝木の首筋に唇をつけた。
「いいよ、気にしてないから」
「本当に、悪かった。俺、あの時、どうかしてたんだ……」
  必死になって言葉を探す朝木の唇に、圭一郎は指を押し当てる。
「いいよ、もう。気にしてないし、とっくに許してる。……それに、本当のこと言うと、すっごくキモチよかったから──」
  圭一郎の言葉は次第に掠れた小さな声になり、聞き取りにくくなった。朝木はどきりと胸を高鳴らせ、同時に、別のところが痛いほど張り詰めてきたことに気付かざるを得なかった。
「圭、本当にごめん……」
「だから、もういいって」
  と、圭一郎。
「いや、だから、その……──」
  返答に詰まった朝木のその理由を素早く察知した圭一郎は、嬉しそうに身体を押し付けた。圭一郎のそこもまた、朝木と同じように張り詰め、高ぶっている。
「いいよ。しようよ、今すぐ」
  悪戯っぽく口元に笑みを浮かべ、圭一郎は言った。



  何日ぶりかで、二人はようやく肌を合わせた。
  若い朝木は性急に圭一郎を求め、圭一郎は朝木のしたいようにさせてやった。
  圭一郎は甘く掠れた声を上げ、朝木を歓ばせた。
  朝木は圭一郎の膝の裏を肩に抱えて挿入し、激しく突き上げた。何度か突き上げただけで二人は呆気なくイッてしまい、荒い息の下、圭一郎はキスを求めた。
「会えない間、どうしてた?」
  圭一郎が尋ねる。
  朝木は「別に」と、返す。
「本当に?」
「本当だって。別に何もなかったぜ」
「ふぅん」
  と、圭一郎は朝木の目を覗き込む。
「僕は…──ずっと、部屋の片付けばかりしてた。朝木がいつ来てもいいように、って。いつ泊まってもいいように、って」
  二回目の行為を予感しながら、圭一郎は朝木に軽く口付けた。
「エッチしてもいいのか?」
  朝木は、圭一郎の言葉に対する答えとも、口付けに対する答えとも取れるような問いかけをしてきた。
「いいよ。いっぱい、して」
  圭一郎はそう言うと、朝木の肩口に額を押し付け、小さく囁いた。
「篤志にしか、こんな気持ちにはならないよ……」
  圭一郎のその言葉で、二度目の行為が始まった。
  今度は、朝木はゆっくりと時間をかけて圭一郎を愛した。焦らすように指の腹で圭一郎の先端を撫で上げ、散々、すすり泣かせた。
  そのうちにどちらからともなくベッドの上に身を起こす。
  朝木が胡座を掻いて座った上に圭一郎は腰を下ろし、首筋にぎゅっとしがみついた。
「大丈夫か?」
  朝木の言葉に、圭一郎は頷き返しる。
「ん……っ……」
  深く貫かれた部分を揺らめかせ、圭一郎は朝木の唇に舌を這わせた。唇の輪郭をなぞるようにして、ゆっくりと。
  朝木は圭一郎の腰に手をかけると、ゆっくりと揺さ振りをかけた。
「あっ……んん、っあ……」
  朝木の背に足を絡ませ、圭一郎はすすり泣いた。固さを増して隆起した圭一郎のものが朝木の腹に当たり、先端部から溢れ出たものでべたべたにしていく。
「キモチいい?」
  朝木が尋ねた。
「んっ……」
  言葉で返すよりも先に、圭一郎の後ろの穴がきゅっと締まる。
  ほんのりと頬を染め、圭一郎は言った。
「キモチいい……すごくイイよ、篤志……」
「感じる?」
「…うん……カンジすぎちゃうぐらい……」
「どこが? ……ここか?」
  朝木は、圭一郎の奥のほうを突き上げた。
「ああっ……」
  圭一郎が身体を仰け反らせ、ベッドの上に後ろ手に手をつく。朝木の腹には、白濁した熱い液がべったりとついていた。朝木はそのまま圭一郎を追い上げた。がむしゃらに突き上げられ、圭一郎は激しく喘ぎながら熱い迸りを身体の内側に感じた。
  二人共、しばらくの間は口をきくこともできず、ベッドに折り重なって横になっていた。
  大きな充足感が二人を包み込み、その瞬間、二人の間に言葉は必要ないように思われた。
「──ねえ、さっきの電話……僕からの電話だってすぐに解った?」
  ベッドの中でいちゃつきながら、圭一郎が尋ねる。
  枕元の時計を見ると、午前四時だった。少し眠たかったが、あくびをこらえて朝木は律義に答えた。
「……すぐに解ったぜ」
  圭一郎の頬に唇を寄せて、朝木。
「本当に?」
「本当だって。でなきゃ、わざわざここまで来るはずがないだろ」
  朝木の腕に抱かれながら圭一郎は、満ち足りた気分を感じていた。随分と年下だが、頼りにできる恋人が手の届く距離にいることに安堵している。
「──大好きだよ、朝木」
  圭一郎が耳元で囁く。
「名前で呼べよ、圭」
  そう言って朝木は、圭一郎の頬に手をやる。
「えっ……だって、ほら、恥ずかしいし……」
  目を逸らして圭一郎が返すと、朝木は自分の体の下に圭一郎を引きこんで体重をかけた。
「言えよ、圭一郎。さっきは名前で呼んでたくせに」
  そう言えばそうだったっけ……と思いながら、圭一郎は朝木の頭をぎゅっと抱え込んだ。
「もう一回、してくれたらね」



  年が明けて最初の出勤日がやってきた。
  圭一郎は、幸せの余韻に浸っていた。
  大晦日に朝木とエッチをして、その後、二人で初詣に行った。それから三日間、朝木は圭一郎の部屋に居座り続け、今もまだアパートのベッドの中でごろごろとしているはずだ。
  満ち足りた幸福感は、圭一郎を艶めいて見せた。
  恋をしているのだと一目で解るような、そんな幸せそうな表情をする圭一郎に、通り過ぎる誰もが気付かざるを得なかった。
  事務室の前を通りかかった有科は、訳知り顔で密かに口元に小さな笑みを浮かべる。
  一人では少々危なっかしい圭一郎と、ぶっきらぼうそうな外見とは裏腹に面倒見のいい朝木。どちらも自分のことに対しては酷く不器用そうだったから二人のことを心配していたのだが、どうやら納まるべきところに納まったらしい。
  しばらくはあの二人を見守っていようかと、有科は密かに心の中で思った。
  二人が、離れないように。
  二人が、互いを見失わないように。



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(H13.1.13)
(H24.8.21改稿)



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