夜がくると、やつがやってくる。
やつ……人々の妄想の中に棲みついた、怪物が。
しかし中には、やつと会うのを楽しみにしている者もいる。
夢の中のやつは酷く魅力的で、人々に甘美な時間を与えてくれるから。
そう。
実のところ人々は、実在するはずもない架空の怪物に、ぞっこんなのだ……。
夢の世界へ入り込むには、睡眠装置があればそれで充分だ。
デジタリウムというその装置は、一昔前に爆発的に流行した特殊な睡眠誘発マシンだ。何年か前にプログラムに重大な欠陥が発見されて以来、市場にこそ出ることはないが、需要が途絶えることはない。闇のルートを通じて年間に何十人もの物好きたちの手に渡っているというのが実態だ。
テルも、そんな物好きの一人だった。
当時テルは、先祖たちの遺産をごっそりと受け継げばいいだけの、怠惰で変化のない生活に飽き飽きしていたところだった。そんな時にデジタリウムの噂を聞きつけたのだ。
装置の使い方は、至って簡単。
本体を枕元に設置し、そこから長く伸びたプラグをヘッドバンドにつなぐのだ。それ以外には、何も必要はない。本体から特別な周波数で出てくる電磁波がヘッドバンドから直接、脳に刺激を与える。装置の使用者はその刺激を夢の中で、現実にごくごく近いものとして体感することになる。それが、デジタリウム、夢の世界との交信装置なのだ。
しかしテルの場合、デジタリウムは奇妙な反応を示した。
通常、デジタリウムは使用者に彼らが思い描く通りの夢を与えた。が、テルの場合、それが思い通りにいかないのだ。思い通りにいかないことを望んでいるからではないかと、デジタリウムの研究家は診断した。
それに、同じ人物しか夢の中に出てこないというのも奇妙だ。
同じ場所で、同じ人物の出てくる夢。
テルの夢は奇妙に現実的で、デジタリウム使用者とはまた違ったもののようだった。
それでもテルは、デジタリウムを使用する。
今日もまた、やつが呼んでいるから。
やつは、テルが夢の世界に入り込むのを待っている。
いつも……いつでも……──
「来てくれたのか、テル」
夢の世界に入り込むと、いつもジシャールが出迎えてくれる。
ジシャールはデジタリウムの住人だ。
飴色の瞳に、漆黒の髪。端正な顔。人懐こい彼の笑みにテルは、いつも見とれてしまう。 「来なきゃ、俺の世界に化けて出てくるんだろ?」
と、テル。
「そうだな。もしもお前に会えなくなったなら、オレのほうから行ってやる。お前を、ここに連れ戻しに……な」
にやりと含み笑いを浮かべる瞬間、真剣な眼差しがテルを見据える。
怖いな、とテルは思う。ジシャールは本気だ。幻想世界に住む生き物ではあるが、ジシャールは確かに心を持っている。心だけでなく、人間と同じように喋り、笑い、時には嘘をつき、怒りの感情を露わにする。テルと会う時には人間の姿形をしていたが、これは本当の姿ではないということを、もう随分と以前のことになるのだが、ジシャール自身が口にしている。
「テルは?」
ジシャールは、しっかりテルに尋ね返すことも忘れない。
「テルは、どうなんだ? もしもオレがいなくなったら、捜してくれるか? オレが今のオレとは別の姿をしていても、きっと見つけ出してくれるか?」
尋ねられてテルは、ジシャールの肩をそっと抱いた。自分よりもはるかに華奢で、儚げなジシャール。抱き締める手に力を入れると、ぽきりと手折れてしまうのではないかという錯覚を起こすことも少なくはない。
「俺はいつだってお前のことしか見てないよ、ジシャール」
テルの言葉に安心したように、ジシャールは自分から進んで口付けていく。
唇を合わせ、互いの唾液を堪能し合うと、甘い香りがジシャールの身体から漂いだす。麝香のようなその香りは、ジシャールが発情すると必ず、身体中から漂ってくる。夢の世界だというのにあまりにもリアルな感覚に、テルはいまだに慣れることが出来ないでいた。
口付けの合間に、ジシャールはテルの股間へと手を伸ばす。
ジシャールは甘い香りを身体から発散させている。彼の体臭は媚薬のような効果があるようで、テルはジシャールの身体から滲み出すこの香りを嗅ぐだけで、自身が興奮してくるのを感じた。
「いいのか、ジシャール?」
と、テル。
「なんで?」
ジシャールはテルの股間を撫で上げ、返した。
「いいに決まってる。オレはお前が好きなんだ、テル。いつも触れていたいんだ、お前に。だから身体を繋ぐ。オレの言ってることはおかしいか?」
ペロリと唇を舐めると、悪戯っぽくジシャールはテルを斜に見上げた。
テルはジシャールの額に唇を落とした。それから、鼻の頭と耳たぶの下に。
「今日は、【夏の海】でお前を抱きたい」
テルが囁く。
何もなかった空間がその刹那、ぐらりと揺れて……次の瞬間、二人は白く泡立つ波の砂浜に横たわっていた。
波打ち際で二人は、砂まみれになりながらキスを交わした。
誰もいない、浜辺。
ただ波の音だけしか聞こえてこない、二人の居場所。
夢の中の世界は二人にとって都合のよい世界だった。
テルは、ジシャールの手を掴むとゆっくりと自分の身体へと引き寄せた。ジシャールはテルの背に手を回し、きつくきつく彼を抱きしめた。
「入れて、テル。お前の……その力を、オレにくれ」
ジシャールはテルの耳元で呟く。掠れた声はどこか官能的で、それが何故だかテルを酷く興奮させた。
テルはゆっくりとジシャールの尻をまさぐった。平坦な青年の尻だ。女のような曲線も柔らかさもない、男の尻。だが、ジシャールの穴はどんな女よりも魅惑的だった。いつなりともテルを誘う、神秘の洞窟だ。
ジシャールの唾液でたっぷりと湿った指を、後ろの穴に潜り込ませる。テルはその合間にジシャールのつんと起ち上がった淡い緋色の乳首に唇を這わせる。
「あっっ……」
この上もなく甘い声がジシャールの口から洩れてくる。
「……テル……テル、海に入ろう……」
我慢の限界がやってきたジシャールは、甘えた声で訴えた。
テルがジシャールの胸から顔を上げると、唇が襲いかかった。歯と歯がぶつかり合い、軽くガチ、と鳴った。薄っぺらな唇だが、奔放なジシャールの舌は的確にテルを高めることができる。
「水の中でするのか?」
と、テル。
「そう。水の中でヤるんだ」
まるでジシャールがリード権を握っているかのような命令口調に、テルは小さく苦笑した。
「解った。じゃあ、水の中に入ろう」
中途半端に脱ぎかけの衣服を二人して脱がし合い、裸になる。
仕事の合間にウェイトリフティングで鍛えたテルの身体はがっしりとして筋肉質だ。健康的に適度に日焼けした肌をしげしげと眺め、ジシャールはほう、っと溜息を吐いた。
「こんなに勃ってる……」
と、ジシャールはうっとりと言う。
テルはそれには答えずに、ジシャールの手を引いて海の中へと入っていった。足の指の間を砂がじわりじわりと浸食する。こそばゆいような感触に、こっそりと顔をしかめながら。
「あっ、あぁっ……」
ヒクン、とジシャールの身体が跳ねた。
水の中で二人はもつれ、絡まり合った。
テルの上に馬乗りになってジシャールは腰をぐい、と押し付ける。若い性器は勃起しており、今にも爆ぜそうになっている。
「ジシャール……いいよ、気持ちいい……」
テルは両手でジシャールの尻を抱え込む。
水の中で性行為をするのは初めてのことではない。現実世界でもその手の店に行くといろんなプレイが楽しめるようになっていた。以前、テルが住んでいたアパートメントは中庭にプールがついていた。若い住人が多く、その中の何人かが夜中や人気のない時間帯にこっそりと自分の恋人と性行為を行っていた。テルもその中の一人だった。
「やっ、テル……ぁ……」
ジシャールは不安定な足をきゅっ、とテルの腰に絡ませてくる。ぐいぐいと腰を押し付けると、テルの手がそれを助長させ、ジシャールの奥深いところを穿った。
「ん……ぅ、んっ……」
ジシャールの足に力が入る。ぐっと腰を締め付けられる感覚に、テルは軽い目眩を感じた。
それから、穏やかな解放が訪れた
ジシャールの奥を抉るようにしてテルは、イッた。放出された精液はジシャールの中を満たし、入りきらなかった分は結合の隙間から外へと溢れ出した。白濁したオタマジャクシの群れが、水面に小さな染みを作った。
ジシャールは満足したように鼻をすん、と鳴らした。
「次は、オレの番だよ」
そう言うとテルの手を、自分の股間へと導く。
テルは指先でジシャールの可愛らしい若芽を摘んだ。親指の腹でそうっとジシャールをなぞり、追い詰めた。泣いて切なげな喘ぎ声を上げるまで、許さずにジシャールをもてあそんだ。
「はっ……は、あぁ……あ、あ……」
まだ繋がったままの部分が、食いちぎられそうなほどに痛む。テルは眉間に皺を寄せつつも、ジシャールを扱いた。テルのものはジシャールの中で、再び燻り始めていた。
「テル……」
ジシャールの手が、そっとテルの手に添えられる。
テルはジシャールの若芽から手を離すと、薄っぺらい尻を掴んだ。
「もう一度イクぞ、ジシャール」
ジシャールは嬉しそうに口元に笑みを浮かべただけだった。
──デジタリウムへのアクセスが終了した。
テルはヘッドバンドを頭から外すと、こめかみを軽く揉んだ。
デジタリウムにアクセスすると、いつもこうだ。刹那的な満足感は得られるものの、その後で身体がぐったりと疲れてしまう。
困惑したような溜息を一つ吐くと、テルは頭を軽く振った。
まるで、今さっき体験してきたことを振り払うかのように。
「ジシャール……」
また、抱きたいと思う。彼のことを、生身の人間と同じように愛しく思いはするけれど。 しかしテルの前には、現実という厳しい日常が横たわっていた。
すべてをジシャールに差し出すには、彼は年を取りすぎていた。こうして夢の中で、一時の幻を楽しむ程度の思い入れしかテルには持つことが出来ない。
「また、明日の夜に」
小さく呟くと、テルはヘッドバンドをサイドテーブルに放り投げた。
ドアの向こうには日常が待っている。
退屈で剣呑な、日常が。
テルは、身だしなみを整えると部屋を後にしたのだった。
END
(H14.5.6) (H24.3.13加筆修正)
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