『展望室にて』

  展望室で待ち合わせをした。
  何の変哲もない円形の部屋は、無重力仕様の0G展望室だ。
  部屋の入り口から中心へとかけて次第に重力がなくなっていく仕掛けになっていて、部屋の中央部に位置するメインデッキでは実際に0Gを体感することができるようになっている。
  そこでオレたちは、待ち合わせをしていた。



  オレは、羽津秋。
  シス・シティの住人の一人だ。
  数少ないこの街の住人とは、滅多に顔を合わせることはない。何しろここは、とっくの昔に廃墟となった街だったから。
  ネット・ピープルたちは、思い思いの姿をしていた。
  薄ぼんやりとした灰色の影だったり、直立歩行をするトカゲの姿をしていたり、過去の偉人やシンガーの姿を模倣している連中やら、いろいろな種類のネット・ピープルが集まって、この街を形成している。
  オレは……少なくともオレとタイガは、日常世界での自分たちをそっくりそのまま模倣していた。
  現実とこことで違うことといえば、この世界でのオレたちは、間違いなく手の届く距離にいるということ。互いの肌が触れあい、その存在感を確かめ合うことができるだけの場所にいるということ。
  お互い、こんなに近くに存在することが出来るだなんて、考えもしなかった。
  現実世界でのオレたちは遠く遠くに離れていて、目を合わせることもできないのだから。
  考えながらオレは、メインデッキを垂直に貫くポールをぼんやりと眺める。
  あのポールに掴まるだけで、無重力状態を体感することができる。ポールから重力無効化磁力が発生しているため、ポールの周辺ではいつまでも0Gを保っていられる。シス・シティを創った連中は、少しばかり頭がイかれていたのかもしれない。何せ、シス・ネットを日常の世界と繋ぐだけでなく、宇宙空間へも繋げてしまおうと考えていたのだから。
  静寂の中、不意にカツ、と音がした。
  振り返るとタイガがいた。
  タイガはブロンズ色のパシパシに逆立った髪に、ヘイゼルのカラーコンタクトをしている。背は、高い。こいつは、オレが背が低いのを知っていて、優越感に浸っている。嫌な奴だと思いながらもオレはしかし、こいつに惹かれている。
「よ、待ったか?」
  タイガの声は、耳に心地いい。
  艶のある低めの声。滑らかで力強い声は、オレに生身のタイガを思い起こさせる。現実世界の、生身のタイガを。
「うん、ちょっとね」
  オレは答えると、軽く肩を竦める。
  タイガは性急だ。
  すたすたと目の前にやってくると、いきなりぎゅぅっ、とオレを抱きしめた。
「……なんだよ、タイガ。苦しいよ」
  されるがままになって抱きすくめられたオレは、身じろぎひとつできずにじっとその場に立ち尽くしている。
「お前にこうやって触れていると安心するんだよ、俺は」
  そう言ってタイガは、ごそごそとシャツの下に手を潜り込ませてきた。



  息つく間もないほど激しく、唇を吸われた。
  タイガの、唇。肉感的な、厚ぼったい口唇。少しざらついた舌は艶めかしくオレの口の中を蹂躙していく。歯の裏を舐め取り、互いの舌を絡ませ、オレたちは唾液を交換しあった。
「──…大牙……」
  呟くと同時に、タイガの唇がオレの唇をちゅ、と掠めていく。
「人が……誰か、来るかもしれない……」
  オレは言った。
  だけどタイガは素知らぬふりで、オレのシャツをたくし上げていく。
「…ね、大牙……」
  ひんやりとした空気に肌を晒されて、オレは身を竦めた。決して寒くはなかったけれど、これから始まろうとしているタイガの行為に、軽い拒絶の意味を込めて。
「なにブルってんだよ、秋」
  そう言ったタイガの唇が、オレの臍のすぐ脇に触れた。
「あっっ……」
  ビクン、と身体が揺れる。焦れったいような恥ずかしいような何とも言えない声が、オレの口から洩れる。
  頭の中では、いけないことだと理性が告げている。こんなことは、そう何度も続けるべきことではない、と。
  ──だけど。
  だけど、オレの心はこいつを求めている。身体の隅々まで、髪の毛の先までも触れられて、愛されたいと、そう願っている。
  こいつとこうしていられるのは、このシス・シティの中でだけだから。
  現実の世界では、オレたちは目を合わせることも出来ない、別の次元の人間になってしまうから。
  オレはぎゅっ、とタイガに抱きついていく。満たされない心の飢えを、癒してもらうために。



  タイガはオレの服を全部剥ぎ取ってしまった。オレも、同じようにタイガの衣服をひとつひとつ丁寧に取り除いた。
  これは、互いがひとつになるための儀式。
  オレたちが、一瞬だけとは言え、確かに満たされるための、大事な儀式なんだ。
「ここに掴まってろよ」
  タイガが言った。
  オレは頷いて、メインデッキの手すりにしがみついた。手すりの近は無重力に近い状態だ。手すりにしっかりと掴まっていないと、身体はふわりと宙に浮き、ポールに沿うような形ではあったが、上へ、下へと流されそうになる。
  タイガもすぐに、オレの手を上から押さえるようにして手すりを握った。
  それから、ゆっくりと焦らすように、唇で……オレの……うなじに触れてきた。
  熱い吐息が、首筋から胸元へと滑り降りていく。溜息のような掠れた声を洩らしながらオレは、乳首がつん、と立ち上がってきたことに気付いた。
  微妙な変化をタイガに気付かれないようにとすっ、と身体を引いた瞬間、滾るように熱い腰を押しつけられた。
「洩れそう……」
  にやり、と口元を歪めて、タイガ。
  カッ、と頬が熱くなって……オレは、何も言えずに顔を背けた。
「なんだよ、今さらだろ?  これしきのことで恥ずかしがっててどうすんだよ」
  そう言うとタイガは、ゆっくりと腰をオレの股間にすり寄せる。タイガが腰を振ると、互いのものが擦れ合い、どちらのものとも解らない先走りの液が混ざり合って湿った音がした。
  恥ずかしかった。
  これ以上に恥ずかしいことをさせられたこともあったけれど、それでも、いつまで経っても恥ずかしさのなくなることはない。普段、人に見せられないような醜態を見られているのだと思うと、それだけで顔が火照ってくる。声だって、女のように裏返って高くなった声を聞かれているのかと思うと、どうしようもないぐらいに恥ずかしくなってしまう。
「しっかりと掴まってろよ」
  耳元でタイガが、熱っぽく囁いた。
  オレは何がなんだか解らずに、頷いている。これから何をされるのか、知りもしないで。



  手すりに両腕をかけるとオレはしっかりと掴まった。そうしないと、身体が浮き上がりそうだった。
「いい子だ」
  タイガは一瞬、オレから身体を離してさっと床に膝をついた。
「なに……ぁっっ……?」
  問いかける間もなく、タイガはオレのものを口の中にすっぽりと収めてしまった。ざらりとした舌がオレをちろちろと舐め上げる。
「あっ……ぁ……」
  0Gの中でこんなことをされるなんて……。
  足を閉じようとすると、するり、とタイガの指が尻へと回された。開いている方の手で手すりの柵を掴んだタイガは、焦れったそうに指先でオレの後ろをまさぐった。
「おい、しっかり掴まってないと身体が浮いてしまうぞ」
  言われなくても解っている。
  そう言い返そうとして、だけどオレは、与えられる快感のほうに先に反応してしまった。もぞもぞときつい部分に潜り込んでくるタイガの指の感触に、膝が震える。唇を噛みしめると声は洩れない。それでも密やかな息遣いが、感じている。タイガの指を、舌を、唇を。
「ね、きついよ……」
  身体が浮き上がりそうになるのを腕全体で押さえ込もうとすると、腰を前へと突き出すような格好になってしまう。慌てて体勢を変えようとしたけれど、遅かった。タイガはさっと後ろに下がり、Gのかかる場所に立ってオレをしげしげと眺めたのだ。
「ふぅん……なかなかいい眺めだな」
  にやり、とタイガの口の端が持ち上がる。
  あっという間にオレの顔は赤くなっていく。真っ赤だ。顔だけでなく、首のあたりや耳たぶのあたりも何となく熱っぽい。ぎゅっと目を閉じる。悪趣味にもタイガは、そんなオレをじっと見ているんだろう、きっと。
「さて、そろそろ……」
  タイガが呟いた。
「──…ぁあっ!」
  ぐい、とタイガの腕がオレの腰を引き寄せた。オレは腕だけで手すりにしがみついたまま、不安定な体勢でタイガを受け入れた。タイガが、ずぶずぶとオレの中に沈み込んでいく。0Gのせいで上体は今にも浮き上がりそうだというのに、腰から下には微力な重力がかかってタイガと繋がった部分だけで重力を感じなければならなかった。
「あ……やだっ……」
  腕に力を入れた瞬間、尻の筋肉がタイガのものをきつく締め付ける。
「くっ……ぅ……」
  タイガはさっと顔をしかめたものの、すぐに意地の悪い笑みを浮かべてオレを見た。
「嫌がってるわりにはこんなになってるじゃん」
  と、タイガの腹を圧迫しているオレのものを指先でつん、とつつく。びくびくとオレのものは震えて、先端に新たな液を滲ませた。
「あっ…ふっ……ぅ……」
  先走りの液でべたついたオレのものは、さらなる快感を求めてタイガの腹を圧迫する。タイガが腰を動かすと、オレのものは彼の腹にこすりつけられて湿った音を響かせた。
「ぁ、あぁ……」
  無理な体勢で痺れた腕が、手すりから離れそうになる。タイガはずり落ちそうになるオレを激しく突き上げる。
  湿った音と、ひんやりとした空気。もしかしたら誰かが来るかもしれないという不安感。歯止めの利かなくなった喘ぎ声を抑えようとするとそれだけ、自分でも艶めかしく思えるような恥ずかしい声が溢れた。
  そうして……解放の瞬間が、やってくる。
  まるで何もかもを奪い尽くされてしまうかのような、怖ろしい瞬間。その瞬間、オレはタイガのものになる。タイガだけの、ものに。タイガのために存在し、彼が生きるための、ただひとつの象徴となる。
  そう。
  オレは、彼を未来へ導く道標。
  彼が迷わないように、過たないように、ただ彼一人を導くためにこの世界に存在しているんだ、オレは。
  頭の中で、真っ白な光がスパークし始める。
  タイガの粗い息が、どこか遠くで聞こえるような気がする。
「あああ……ふぅぅ……」
  タイガが腰を突き出す。
  突き上げられ、追いつめられ、オレは自分でも何を口走っているのか解らなくなってしまう。
  頭の中は、真っ白だ。もう、何も解らない。解っているのは、タイガがオレを喰らい尽くそうとしているということだけ。タイガが、オレの持つすべてを奪い取っていこうとしているということだけ。
「あぅ…んっ、んんっ……」
  オレの身体の中心で勃ち上がったものが、ひくひくと喘いでいる。透明な液体を滲ませて、切なげな涙を流している。それをタイガが、まるで煽るかのように指先で撫で上げる。肉厚の掌が俺自身をぎゅっと包み込み、リズミカルに扱いていく。
  ──ダメ。
  オレは、心の中で口早に叫ぶ。
  揺さぶりをかけてくるタイガの腰に、片足をからみつかせた。
「ダメ……いっしょにっっ……!」
  もう片方の足をくい、と伸ばして、オレは……イッた。



「おい、さっさと服着ろよ」
  タイガが言った。
  オレは気だるい身体を引きずるようにしてあちこちに脱ぎ散らかしたままになっていた服を拾い集め、袖を通し始めた。
「お前さぁ……」
  と、タイガが呟く。
「なに?」
  ちらりとタイガのほうを見ると、既に身支度を整え終えた彼はジーンズの尻ポケットからひしゃげたタバコを取り出して火を点けているところだった。
「……もうちょい肉付けろよ。ヤってる時、骨が当たって痛かったぞ」
  言いながらタイガは、ふーっ、とタバコの煙を吐き出した。
  服を着ながらもオレは一瞬、むせ返った。
  なんだってこう、ムードの欠片もない奴なんだ、こいつは。
  むっと口を尖らせて、オレはタイガを睨み付ける。
「悪かったな。オレは、お前と違って太る体質じゃねぇんだよ」
  そう言うとオレはタイガの腹を一蹴りして、展望室を飛び出した。
  もう二度とこいつとはエッチをするもんかと、そんな言葉を頭の中で繰り返しながら。



  展望室の外に出ると、いくつかの道が目の前に出現した。
  アクアエリア、エアエリア、ステップエリア、テラエリア、ムーンエリア……等々のエリアへの入り口が、薄ぼんやりと見えている。
  適当に当たりをつけるとオレは、エリアの一つに飛び込んだ。
  どこでもよかった。
  しばらくは、この高ぶった身体の熱を鎮めるため、タイガから離れていたかったのだ。
  エリア間の移動の瞬間、頭の中が真っ白になる。解放される瞬間にも似た無の状態が身体を包み込み、それから、少しずつ平常の状態へと戻っていく。
  ゆっくりと目を開けるとオレは、透明に澄み渡った蒼い水の中にいた。
  そう。
  オレは、シス・シティのアクアエリアにやってきたのだ。
  火照った身体にはちょうどいいと、オレはそれまで押し殺していた息をほぅ、と吐き出す。
  水中を思わせるゼリー状の空気が肌にまとわりついてくるのを押しやりながら、ゆっくりとエリアの中心へと向かって歩きだす。
  そのうちにタイガのことなんて、忘れてしまうさ。
  そう思いながら、気ままに足の赴くまま、のんびりとオレは歩き続けたのだった。



END
(H14.5.2)
(H24.3.13加筆修正)


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