携帯電話

  新しい携帯を買った。
  ビジネスマンなんかがよく持っている、一番シンプルで地味なボディのものだが、二人でショップに行き、朝木が持っているのと同じ機種の携帯を購入した。
  特に意味があったわけではないけれど、数日前はバレンタインだった。男同士でさすがにバレンタインはしなかったが、そのかわりにと、圭一郎が提案したのだ。
  圭一郎は、ついでに朝木が加入しているのと同じ携帯会社に加入変更し、互いの電話番号を登録し合う通話プランも追加した。
  圭一郎──去年の秋口から杉澤学院の事務職員をしている藤原圭一郎は、年の暮れも迫った十二月に、生徒で二年生の朝木篤志といい仲になった。きっかけは朝木のほうからの強引なアプローチだったが、今は違う。相思相愛で二人の世界を驀進中だ。もしかしたら圭一郎のほうが、より朝木に対して強い想いを抱いているかもしれない。
  もちろん、朝木だって圭一郎にメロメロだ。アパートで一人暮らしを始めた圭一郎の元へ押しかけ、そのまま居着いてしまったのは正月の明けた始業式の日のこと。それまでも朝木とは、ビジネスホテルによく行っていた。年末から年始にかけてホテルで豪遊し、圭一郎の部屋になだれ込んだのがいけなかったのかもしれない。あまりの居心地のよさに朝木は、年明け早々荷物を抱えてやってきたのだ。
  以来、二人きりのささやかな生活は続いている。
  誰にも邪魔されない、二人だけの生活。
  二人の仲はホット・チョコレートのように甘くてとろけそうな仲だ。
  そう、今のところは。



「携帯のストラップ買ってきたぜ」
  圭一郎が部屋に帰ってくると、朝木が奥の部屋から声をかけてきた。
「ただいま。晩ご飯、どうした?」
  靴を脱ぎながら圭一郎は声をかけた。
  夕方近くから系列校の事務担当との会合が入っていた圭一郎は、二時過ぎには職場を後にしている。新年度の情報交換会だと聞いていたが、予定以上に時間がかかってしまった。毎日、放課後はバイト三昧の朝木よりも帰ってくるのが遅いのは珍しいかもしれない。
「あ、俺さ、バイト先でおでんもらってきたからレンジでチンして食っちゃった。それにしても大変だよな、社会人って。土曜だってのに、しっかり仕事があるんだもんな」
  声だけでなかなか部屋から出てこない朝木の様子を、圭一郎は着替えもそこそこに覗きに行く。
  半開きのドアの向こうで朝木は、テレビゲームに夢中になっていた。
「あ……」
  圭一郎の手から、買ってきたばかりのタコ焼のケースが落ちる。
「ああああああ……朝木っ! 何やって…──」
  一瞬にして耳まで真っ赤になった圭一郎の目は、テレビの画面に釘付けになっている。
「あン?」
  と、朝木が振り返る。
「なに、それっ! なんでそんなゲーム……」
  涙目で圭一郎が言うのに、朝木は抑揚のない声で返した。
「バイト先で借りてきたエロゲ。結構簡単だぜ? 何しろ、脱がしゃいいんだからな」
  テレビの画面では、豊満な体付きの女の子たちが絡み合っている。アニメーションのように画面は動き、ご丁寧に時々、喘ぎ声が洩れたりもするようになっている。
「やっ……そんなゲームするより、他にもっとすることがあるだろっ?」
  上擦った声で圭一郎が言うと、朝木はにやりと口の端をつりあげた。
「そりゃまぁ、ゲームよか圭一郎とエッチするほうがいいけどさ」
  朝木が喋る間にも、画面では猥褻なシーンが次々と切り替わっていく。
「馬鹿っっ。そういうことじゃなくて、勉強とか、しなくていいのか?」
  あと十日もしないうちに今学期最後の試験がやってくる。先生方が忙しそうにしているのを知っている圭一郎は、それを指して言った。
「ああ、そうか。そりゃ、そうだわな」
  朝木は突然そう言うと、ゲームを終了して片付けを始めた。
「あ、圭、タコ焼き買ってきたのか?」
  圭一郎の足元に転がる発泡スチロールのトレーを拾い上げ、朝木は尋ねる。
「……うん。あんまり食欲ないんだけど、朝木もご飯まだだったら悪いかなと思って駅前で買ってきた」
「お、さんきゅっ。悪いね。俺、圭一郎がくれるものなら何でももらうぜ」
  いそいそとタコ焼きのパックを開け、朝木は口に放り込む。まだほこほこと温かいタコ焼きは、ちょうど小腹の空きかけていた朝木に満足感を与えた。
「──…んで、圭一郎、出張どうだった?」
「うん……まぁ、あんなものかな」
  と、圭一郎が返すのに、朝木は怪訝そうに顔をしかめる。
「なーんーか、おかしい」
  タコ焼きを食べる手を止めると、朝木はぎろりと圭一郎を睨み付けた。
「何か隠してるだろ、圭一郎」



  タコ焼きの皿を手にした朝木は切れそうなぐらいに鋭い眼差しで圭一郎を見据えている。
  と、その時、圭一郎の携帯が鳴った。
  天の助けと圭一郎は電話に出た。
「はい、もしもし?」
『あ、藤原さん、今日はお疲れ様でした』
  有科だった。よりにもよって、こんな時に、有科とは。
「……いえ、どう致しまして。こちらこそありがとうございました」
  圭一郎の言葉と、携帯の向こうから聞こえてくる微かな声に、朝木は耳を澄まして集中している。
『なに言ってるんですか。たまには息抜きしないと駄目ですよ』
「はぁ……」
『藤原さん、忘年会はともかく、新年会すっぽかしてるじゃないですか。どんな可愛い彼女が待っているのか知りませんけど、たまにはこっちの飲み会にも参加してくれないと』
「…はぃぃ……」
  圭一郎の声は、次第に弱々しい声になってくる。
  朝木に出張だと嘘を吐いていたことが、このままでは発覚してしまう。
『あれ? そう言えば、なんか喋りにくそうですね、藤原さん。もしかして彼女が来てるとか?』
「いえ、違うんです。そういうのじゃなくって、あのっ…──」
  言いかけて、圭一郎はふと思った。朝木のことを何と言えばいいのだろうか、と。
『それじゃ、また月曜日に』
  圭一郎が悩んでいる隙に、有科はそう告げてさっさと電話を切ってしまった。我に返ると、朝木が鋭い眼光を投げかけてきていた。
「息抜きだってぇ? たまには飲み会にも参加してくれって……あのエロ教師、いったい何なんだ!!」
  叫ぶなり朝木は立上がり、圭一郎の身体を肩に担ぎ上げる。咄嗟のことに圭一郎は、携帯を取り落としてしまう。圭一郎の手を離れた携帯は、コタツの足元に転がり落ちた。
「わっっ……朝木、危ないって。おろせってば……」
  むっすりと無言のまま、朝木は圭一郎を風呂場のほうへと連れて行く。暴れようとした圭一郎は、ふと動きを止めた。このまま暴れ続けて無様に床の上に転げ落ちるよりは、このまま様子をみたほうがいいかもしれない、と。
「朝木?」
  下に降ろされたと思ったら、シャワーを頭からかけられた。そのまま蛇口を捻ったらしく水のままだ。
「朝木っ……やめろってば!」
  滝のような勢いで冷水が頭にかかる。着ていた服はあっという間にずぶ濡れになってしまった。圭一郎の首根っこをしっかと掴み上げている朝木のほうもずぶ濡れだ。
  圭一郎が寒さで震え出す頃になってやっと朝木は、手を離した。
「なに考えてるんだ、朝木?」
  がちがちと歯を鳴らしながら、圭一郎は年下の恋人を見上げる。朝木はむっとした表情のまま圭一郎を睨み付け、何も答えない。二人とも全身濡れ鼠のまましばらくの間、浴室に立ち尽くしていた。
「──…なんであのエロ教師と飲みに行った?」
  不意に、朝木が呟く。
「エロ教師って……」
「有科だよ、有科。なんで、いつもいつも、あいつが出てくるんだよ、ええっ?!」
  言いながら朝木は、圭一郎の肩を掴み上げる。ぷっと膨れた頬の朝木はまるで、子供が嫉妬しているかのように見えないでもない。
「……もしかして……ヤキモチだろ、篤志」
「悪いかっ?!」
  圭一郎が言った瞬間、朝木は即答した。
「まったく、もう…──」
  仕方がないという風に肩を軽くすくめると、圭一郎はこの年下の恋人に腕を差し伸べ、しがみついていった。
「有科先生とは歳が一緒で、同じ地元同士だから仲間意識みたいなものがあるだけだよ」
  暖を取ろうとして、圭一郎は朝木の身体にぎゅっと腕を回す。
「それだけ、なんだからさ。そんなことでいちいち目くじら立てるなよな」
  圭一郎は優しく告げた。



  すっかり身体の冷えてしまった二人は熱いシャワーを浴びて浴室を後にした。
「さーて、タコヤキ食べよっと」
  悩める朝木をそのままにして部屋に戻った圭一郎はスウェットに着替えると、いそいそとコタツに入る。
  机の上には食べかけのタコヤキの皿。圭一郎は早速タコヤキを食べ始めた。
  朝木はまだ脱衣所でごそごそやっている。さっきの圭一郎の一言で腰砕けになったのか、半分上の空で着替えをしているようだ。
「朝木ー、早く来ないとタコヤキ全部食べちゃうぞ」
  言いながら圭一郎は、残り少なくなったタコヤキをまた一つ、口の中に放り込む。
  部屋に戻ってきた朝木はどこかぼーっとしたような惚けた表情をしていた。圭一郎の言葉でふやかされてしまったのか、心ここにあらずといった様子で焦点の合わないとろんとした目をしている。それから……ふと圭一郎の手元を見て、朝木はようやく我に返ったようだった。
「ああーっっ、俺の……俺のタコヤキ!」
  朝木が叫ぶ。
  圭一郎はそ知らぬ顔でタコヤキを食べ続けている。
「さっさと戻ってこないからだろ」
  言いながら圭一郎は、最後の一個を口の中に放り込む。
「ああああ……食べた……食べたな、圭。俺の、タコヤキ……楽しみにしてたのに…──」
  肩をがっくりと落とした朝木を尻目に、圭一郎はおいしそうにタコヤキを平らげてしまった。
「…っきそー……俺のタコヤキ……」
「ごちそうさま。やっぱりタコヤキは駅前のお店のが一番だね」
  わざとらしく圭一郎が言うのに、朝木はむっとして喉まで出かかっていた言葉を飲み込む。
  その代わりといっては何だが、朝木は圭一郎の両手首を掴み上げ、勢いよく床の上へと押し倒した。
「タコヤキの代わりに食ってやるから、ありがたく思えよ」
  畳の上でしたたかに後頭部を打った圭一郎は、しかめっ面のまま朝木を見上げる。年下の恋人は少しばかり苛立っているようだ。たこ焼きにかこつけて、圭一郎が朝木に黙って飲み会に参加したことを、彼はまだ怒っているのだろうか。
  しばらくもつれ合ったままの格好で二人は、黙りこくっていた。
  先に口を開いたのは朝木で、圭一郎には彼のその口調が随分と気弱なものに感じられた。
「……圭、お前、最近冷たくなった?」
  躊躇いがちに朝木がぽそりと言うのに、圭一郎はそっと手を伸ばす。ごわごわとした朝木の前髪を掻きあげてやり、それから圭一郎は口元だけで笑ってみせる。
「違うよ。遠慮してるだけだろ、朝木が」
  そう。この年下の恋人は最近、出会った最初の頃の図々しさが薄れてきていた。相変わらず圭一郎を振り回していることに変わりはなかったが、それでも、少しずつではあったが圭一郎の様子からだいたいの感情を読み取ることが出来るようにもなってきていた。
  それに……と、圭一郎は心の中で小さく呟く。「だいぶん分別がつくようになってきたな」と。
「遠慮? 俺が?」
  不思議そうに朝木が尋ねる。
「……うん」
  それから、朝木が何か言うよりも早く圭一郎は、彼の唇を奪い取っていた。



「TPOを考えてくれるのなら、そんなに嫌じゃないんだけどな」
  キスの合間に圭一郎は密やかに囁く。
  互いの唾液が混ざり合い、透明な糸を引くまで二人は唇を重ね合った。
「それって……どーゆーイミだよ」
  朝木が尋ねるのに、圭一郎はうっすらと笑みを浮かべる。
「もうちょっとオトナになれってこと。盛りのついた犬猫みたいに、所構わず押し倒されちゃ、適わないからさ」
「おいおい、言ってることが矛盾してるぞ」
  と、朝木は圭一郎の裸の皮膚に唇を滑らせる。その感覚に圭一郎はつい、艶やかな溜息を洩らした。
「あっ……ふ…ぅっ……──」
「今日はいつもより早いよな」
  にやにやと笑いながら朝木は、圭一郎の下腹部に指を走らせる。スウェットの上から触っただけで、圭一郎が興奮しているのが解る。
「…んっ……」
  朝木は圭一郎のスウェットを下着ごと素早く引き摺り下ろした。
  空気にさらされた圭一郎の雄は、ぴくぴくとしていた。湿り気を帯びた圭一郎の雄を、朝木は躊躇いもなく口に含む。朝木が舌先と歯を使って丹念に愛撫すると、甘い汁を滲ませて圭一郎のそこは悦んだ。
「ぁ……んっ、はっ…ん、んっ……」
  朝木の頭を抱え込み、圭一郎は声を上げた。
  そのうちに朝木は、圭一郎の二つの袋を揉みしだきながら後ろの穴へと指を滑らせ始める。
「圭、もっと足広げろよ」
  言いながらも朝木は、圭一郎の太腿をぐい、と両開きにする。精液と唾液とでじっとりとぬめった中心はそそり立ち、次なる愛撫を求めてひくついている。
「…篤志も……服、脱いで」
  掠れて欲情した声で圭一郎が告げるのに、朝木は「わかった」と頷いた。ちゅっ、と音を立てて圭一郎の中心にキスをすると、素早く身を起こして裸になる。程よく鍛えられた朝木の筋肉と若い肌は男性的で、圭一郎のコンプレックスを少しばかり刺激した。
「──ここでしていいのか?」
  朝木が尋ねると、圭一郎は一瞬、困ったような顔をした。
  本当は、この場所でセックスはしたくなかった。寝室ならともかく、この部屋には様々な人が出入りをする。圭一郎の姉や、姉の娘。両親が訪ねてくることもあるだろう。それに最近、圭一郎は職場の同年代の同僚たちとも親しく付き合うようになってきていた。彼らがこの部屋を訪ねてこないという確証は、どこにもない。圭一郎には、人の出入りする部屋でセックスをするのは気が引けてならなかった。
「イヤだけど……」
  最後の言葉は、朝木のキスに飲み込まれた。
  困ったような、それでいて期待しているかのような圭一郎の眼差しは、明らかに朝木を誘っている。朝木はこのままこの場所で、行為を続けることにした。



「うっ……ん…ふっ……」
  圭一郎が甘い声をあげると、朝木はさらに濃厚な愛撫を施した。
  いつの間に用意したのか、朝木は圭一郎のペニスを細い紐で縛りあげている。骨ばったごつごつとした手が、圭一郎自身にそっと触れるのに、圭一郎は我慢ができないでいた。
「あ……やめっ……篤志、やめろ……!」
  びくん、と背を反らして圭一郎は苦しいほどの快楽をやり過ごそうとする。押さえつけられた腰の中心が、じわりじわりと飢えた欲望を求めて揺らいでいる。
  圭一郎は朝木の髪を掴むと、勢いよく引っ張った。体が熱くて仕方がない。
  圭一郎の反り立ったものの先端からは白濁した液が今にも溢れ出さんばかりだったが、紐で縛られているために熱を吐き出すことができないでいた。紐の結び目が張り詰めたものに食い込み、きつく締め付けていた。きりきりとした痛みと、その向こう側の微かな快感とが入り混じったものが圭一郎の体を苛んでいる。
「…辛いか?」
  圭一郎のきつく締め付けてくる穴を弄びながら、朝木は尋ねた。
  目尻にうっすらと涙を溜めた圭一郎は、いつだって朝木の欲望に火を灯す。あの艶かしい眼差しで見つめられると、若い朝木はそれだけでくらくらとしてくるのだった。
「はっ……はぁっ……」
  言葉を返すよりも先に、圭一郎の身体が反応してピクリとしなる。
「早くっ……早く、篤志……早く……──」
  身を捩じらせて懇願する圭一郎の尻からゆっくりと朝木は指を引き抜く。圭一郎の内壁によって締め付けられていた指は、解放されるや否や、前方で揺らめくしっとりと湿ったものを軽く弾いた。
「あ…ああっ……!」
  圭一郎があられもない声をあげるのに、朝木は満足そうに舌なめずりをする。
  恋人を辱めたいわけではないけれど、相手が感じているところを見るのはぞくぞくした。この、目の前で恥ずかしげもなく身体を開き、だらしなくおっ立てたペニスから精液を溢れさせているのが自分の年上の恋人なのだと思うだけで、朝木はイッてしまいそうになる自分を感じていた。
「まだだ。圭、もうちょい我慢しろよ」
  朝木はそう言うと、圭一郎の中へと腰を進めていく。
  前後左右に揺さぶられ、激しく突き上げられた圭一郎は今にも吐精してしまいそうな様子だった。ぐるりと巻きつけられた紐はそんな圭一郎を阻み、苦しめている。快楽という名の甘い苦しみに、圭一郎は気を失いそうになっていた。
「あっ……あ、あ……」
  しなる肢体にさらに激しい揺さぶりをかけられ、圭一郎はいつしか泣いていた。
  それなのに、朝木はいつまでたっても圭一郎の苦しみを終わらせようとはしてくれない。
  圭一郎の意識が朦朧として、何も考えられなくなってくる。
  どこか遠くのほうで、警鐘が鳴っている──圭一郎はそんなことを思っていた。いや、警鐘にしては機械的な、そして可愛らしい音だった。圭一郎はぼんやりとだったが意識をそちらのほうへと集中させる。そうだ、電子音だ。この音は……さっき、コタツの足元に落としてしまった圭一郎の携帯の着信音だ……
「待って……待って、篤志。電話が……──」
「ほっとけよ、電話なんか」
  それでも、圭一郎は頭のすぐ側でけたたましく叫び声を上げ続ける携帯を探して手を伸ばす。朝木のごつごつとした手は、のろのろとした動きの圭一郎の手を携帯ごと掴みあげた。
「後にしろ、電話なんか。俺がいるだろ、ここに」
  言うが早いか朝木は、がしがしと腰を揺さぶる。
「ひっ……ぅ……っ………あっ、あっ……ああぁっ──!」
  まるで痙攣でもおこしたかのように激しく身体をひくつかせ、圭一郎は大きく喘いだ。
  辛そうだが、それでもまだ、圭一郎は何とか快感の波に耐えている。朝木の心の奥底ではどろどろとした黒い欲望の塊が、このままもうしばらく、圭一郎を見ていたいと告げていた。
  少しばかり考えてから朝木は、圭一郎の苦しげな先端に指を伸ばした。亀頭の輪郭をぐるりとなぞり、先走りの液でぐっしょりとした部分を指の腹で何度も扱いてやる。精液の湿った音がくちゅくちゅと響いた。
  じれったそうに、圭一郎のペニスがひくつく。
  朝木は再び自分のものを圭一郎の中から引きずり出す。それから、ぬらぬらとした部分を口に含むと舌と歯を使って圭一郎に絡み付いている紐を引っ張り始めた。



  息を荒げる圭一郎は、酷く艶かしかった。
  紐の結び目を歯で引っ張ってやると、それだけで圭一郎は達しそうになる。
  ペニスと紐の間のわずかな隙間に舌を差し入れて焦らすようにペニスを舐めると、圭一郎は涙を流して悦んだ。
「ああっ……っぅっ………」
  ヒクヒクと圭一郎のペニスは揺らめいている。
  朝木は執拗なほどに圭一郎を責め、焦らし、泣かせた。
  それから……ようやく朝木は、圭一郎を戒めている紐に指をやり、ゆっくりと解き始めた。一つ目の結び目を解き、輪が緩んだところでペニスに沿ってぐるりと一周巡らせる。圭一郎の先端はあっという間に精液を滲ませ、濃厚な甘い香りを漂わせる。
  仕上げとばかりに朝木は、親指と人差し指とを環状にして圭一郎をきゅっと締め付けた。
「ひっ……ダメっ……!」
  圭一郎が掠れた声で言うのとほぼ同時に、朝木はぬめったその部分から環状にした指を、竿を締め付けたままするりと抜き上げた。
  ひときわ大きく、圭一郎の身体がしなる。ビュッ、と吹き上げた精液が、ピシャリと音を立てて朝木の頬を濡らしていく。
  朝木の顔に吐精すると同時にぐったりと脱力した圭一郎は、長いことその場でじっとしていた。息が上がっているのも、頬が高潮しているのも、そして目尻がうっすらと涙で滲んでいるのも、どれも朝木の目には艶かしく映った。
  今、おそらく圭一郎はほんの少しだが、怒っているはずだ。
  朝木のしたことに対して、怒りを覚えている。その証拠に、目はぎゅっと閉じられ、両方の手も、怒りを堪えているかのように固く握り締められている。
  朝木は脱ぎ散らかした自分のトレーナーを手繰り寄せ、顔にかかった圭一郎の精を無造作に拭い取った。
「──…バカ」
  ぽつりと、圭一郎が呟く。
  身を起こし、朝木の前髪をかきあげながら圭一郎は言った。
「また、シャワー浴び直さなきゃ、だよ」
「じゃ、続きは風呂でしようか?」
  臆面もなく、朝木。
「……だったら、ホテルに行こうか? どうせ明日は日曜だし、ここにいるよりも……──」
  最後のほうはぼそぼそと、しかし期待を持たせるようなニュアンスで圭一郎は答えた。



  二人して素早く着替えると、出かける用意をする。
  玄関口で圭一郎は、緊急の連絡があった時のことを考えて携帯を尻のポケットに突っ込んだ。いつもは先に玄関で待ち構えていることのほうが多い朝木が今日に限ってもたもたとしている。
「朝木、置いてくぞー」
  声をかけると、朝木がわたわたと洗面所から出てきた。
「なに? どうかした?」
  心配そうに圭一郎が尋ねる。さっき、圭一郎の精液が朝木の顔にかかった時に目に入ったのだろうか?──そんなことを考え、圭一郎は一人、顔を赤らめている。
「ああ、いや、何でもねーよ。ちょっとストラップが、さ」
  と、朝木がストラップを圭一郎の目の前に突き出す。赤とオレンジと黒の縞模様のストラップは、何度も水洗いをした後のよれよれの状態になっている。
「どうしたの、これ。もう汚れた……──!」
  言いながら圭一郎は、ふとこのストラップがどうして汚れてしまったのか、わかったような気がした。
「気にするなって。こっちは俺が使ってやるからさ」
  何でもないことのように朝木はさらりと言い流し、圭一郎の手を引いて部屋を出る。赤面したままの圭一郎は大人しく朝木に手を引かれて、駐車場までの短い道のりを歩くことになった。



  年下の恋人に手を引かれながら、圭一郎は甘い甘い溜息をついた。
  二人の仲は、まだまだ熱いようだ。できたてのホット・チョコレートのような、甘くてとろけそうな時間は当分の間、続きそうな予感がする。これから数時間後のことを考えて、圭一郎はつないだ朝木の手をぎゅっと握り返した。
  振り返った朝木を圭一郎は、少しの期待と、仄かな羞恥心との入り混じった眼差しで見上げる。
  朝木は口元に笑みを浮かべ、圭一郎の手をぐいと引いた。
「わっ……」
  圭一郎がよろめいたところを朝木の太い腕がしっかと抱き止め、そのまま髪に、首筋に口付けが降りてくる。
  人目がないのをいいことに、二人して戯れながら歩いていると、不意に圭一郎の携帯が鳴った。
「あぁ? 誰だよ、こんな時間に」
  非難するような朝木の視線をひしひしと感じながら、圭一郎は携帯のボタンを操作する。
「はい、もしもし?」
  圭一郎が言うと同時に、けたたましい姉の声が携帯から聞こえてきた。
『圭一郎? アンタ、いったい何考えてるのよ! さっきから何度も何度も電話してるってのに、何やってたの!』
  攻撃的な姉の声に、圭一郎は弱々しく謝りの言葉を口にする。
『まったく。どうせいつもの不良学生なんでしょう? どーしてアンタはそう、押しの強い人間に弱いのかしらねぇ』
  ちらりと朝木のほうに視線を向けると、朝木は朝木で声を出さずに「切れ、切っちまえ。そのまま喋ってるとお説教が始まるぞ」と警告をしてくれている。それは重々承知の上なのだが、ここで電話を切ってしまうと次の時に何倍もの量になってお説教されるだろうことが、圭一郎には解っていた。だからここは、大人しく話を聞いておくほうがいいだろう。
『だいたいあの学生って、ちょっとおかしいんじゃないの、頭が。なんでアンタみたいな年上の三十男なんかにうつつを抜かしちゃうわけ?』
  まだ二十七だよ、と圭一郎は心の中で反論する。
  お説教が続いている間に二人は駐車場に着いた。
『あんなのはね、淫行罪でケーサツに突き出すべきなのよ。三、四年ばかり少年院にでも放り込んで、更生してもらうべきね』
  淫行罪って……それはこっちのほうが問われる罪だと思うよ、和姉さん。圭一郎は小さく苦笑する。
  朝木は駐車場の片隅で、手持ち無沙汰に歩き回っている。圭一郎は姉の説教に話半分に耳を傾けながら、ポケットから車のキーを取り出し、ドアを開け、運転席に入り込んだ。
『それに……』
  更に悪口を続けようとした姉に、圭一郎は一言、言い放った。
「でも、僕も好きなんだ、朝木が」
『──……ホントしょうがないわね、アンタって子は』
  結局、姉は本題に入らないままに電話を切ってしまった。呆れたような声の向こうには、口で言っているほどの嫌悪感は含まれていない。それにどうやら、お説教するのに夢中になってしまい、必要なことを忘れてしまったようだ。圭一郎はこれ幸いとばかりに携帯の電源を切り、ダストボックスの中に放り込んだ。今日のところはもう、これ以上は姉の声を耳にしたくなかった。
「ごめん、朝木。行こうか」
  声をかけると朝木は、何も言わずに助手席に乗り込んできた。
「行こうか?」
  と、再び圭一郎。
  朝木はゆっくりともたれかかってくると、圭一郎の耳元に小さく息を吹きかける。
「待たされた分もきっちり身体で支払ってもらうからな」
  解らないほど微かな頷きで圭一郎は応えると、滑るように車を発進させた。
  二人が睦み合うだけの時間ぐらいならまだ、残っているだろう。夜は恋人たちを優しく包み込み、見守ってくれるものだから。



END
(H13.6.30)
(H24.8.21改稿)



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